限りない日々の逃走劇

主にtacicaを褒め讃えるためのブログです

グリム「ブレーメンの音楽師」×ヨルシカ「ブレーメン」【感想】

文学作品6作とヨルシカのコラボ楽曲、両方に触れて感想を書いてみる企画。
第二弾は、グリム童話ブレーメンの音楽師」とヨルシカ「ブレーメン」です!

 

 

国内外含めた新潮文庫の文学作品6作を読み、それを元にしたヨルシカのコラボ曲を聴いて、それぞれの感想を書いてみようという試みになります。

コラボの詳細は下記の記事を参照。

spice.eplus.jp

 

第二回となる今回は「ブレーメンの音楽師」ですね。
超有名なお話なので、内容含めご存じの方も多いでしょう。かく言う僕も、物語の顛末を含めてすでに知っていました。
幼少期におぼろげながら「変な話だなー」という感想を抱いたのを憶えています。

で、実際読んでみるとやっぱり変な話でして。はじめから終わりまで無軌道で荒唐無稽で、「なんじゃこりゃ」という印象が一番にきました。
しかしながら、自由奔放に進んで行く物語に引っ張られるのは嫌じゃなく、寧ろ心地良さを感じましたね。

その軽妙なビートが、ヨルシカの「ブレーメン」にも大いに反映されていると思います。
あっけらかんとしていて、ふざけているように思えるくらいに明るい。だから聴いているだけで気分が晴れてくる。

ただ、グリムとヨルシカの2つのブレーメンに共通しているのですが、どちらも明るいだけじゃないんですよね。
ブレーメンの音楽師」に登場するどうぶつたちは、実はとても笑えないバックグラウンドを持っているし、「ブレーメン」の歌詞にもそこかしこに不穏な気配が漂っている。
だからこそ、陰を笑い飛ばすような明るさが際立っている、というのが両者に通じる理念ですかね。

 

では、そこらも含め、個々の感想で詳しく述べていきましょう。
一応ネタバレ注意です。
ブレーメンの音楽師』は童話集であり、話のあらましを述べても作品を体験するにあたって不利益になる事はまず無いと思いますが、念のため。

 

グリム 『ブレーメンの音楽師』

 

内容(amazon紹介ページより)

ドイツ民族の中を流れる最も民族的なものに愛着を感じ、そこに民族の魂の発露を見たグリム兄弟がとらえたメルヘンの世界。本書には表題作のほか、『水の妖精』『悪魔とその祖母』『名親としての死神』『幸福のハンス』『三人の糸紡ぎ女』『狼と七匹の子やぎ』『赤ずきん』『いばら姫』『狐と鵞鳥』など38編を収録。
人の心を美しく気高くするグリム童話の真髄を伝える小品集である。

なんと、おどろきの38編です笑。
童話を短いあいだにこれだけの数読むっていうのは、ちびっこの頃でもなかった気がするなー。

ページ数は300弱くらいだし、文量はそれほどでもないです。
ですが、ひとつひとつのお話のインパクトが大きい。異常なまでにテンポが速いし突飛な展開が数多くあるので、どれも密度が高いんですね。
例を出すと、主要のキャラクターが脈絡もなく一行で死んだり、ヒロインが目にもとまらぬ速さで王子様と結婚したりします。すごい。
”人の心を美しく気高くする”と紹介に書いてますが、読み口が近いのはボボボーボ・ボーボボです。
そら子供も喜ぶわ。

童話というと、小さな子に教訓をつたえるような内容が多いと思われるでしょう。
しかし、こちらも大分イメージと異なっています。
教訓めかしいお話は少なく、むしろ読み終わった後(これはなにが言いたかったんだ?)と疑問に思う話の方が多い気さえします。

発想がとにかく奇抜だし、キャラの心情もよく分からないし、伏線も何もない。
だけどそれ故に自由でなんでもあり。
このオフビートさは、現代小説に慣れ切った人間である僕にはとても新鮮に感じられました。

 

 

記憶に残ったお話をいくつか挙げますと、「猫と鼠のいっしょの暮し」「名親としての死神」「かしこいハンス」「三人の糸紡ぎ女」あたりでしょうか。

 

「猫と鼠のいっしょの暮し」は、タイトルからほのぼのしたお話を予想したのですが、実際の内容は猫が鼠といっしょにとっておいたはずの食べ物を詐取し続けるという何ともシニカルな喜劇。
理不尽な結末のあと、唐突に

どうです、世の中なんて、こんなものですよ。

の一文でこちら側へ投げかけて締めくくられるのがシュールで、笑いがじわじわくる。
ほかの話でもちょくちょくメタっぽい感じで筆者のコメントが挟まるんですよね。
物語という型すら破り、とことん自由に描いてる感じがして好きです。

 

「かしこいハンス」は落語的な笑い話。
かしこさの欠片も見当たらないハンスがひたすた愚行を積み重ねていくだけなんだけど、それがツッコみどころしかなくて笑いましたね。
途中でラブコメ風味になって、一人にわかに沸き立ちました。まぁ、好意を抱いてくれている女の子に、大量の子牛と羊の目玉を投げつけるハンスの奇行で全てが台無しになるのですが(こう書くとやっぱり意味不明だな)。
そんな予測不可能さと奇怪さを含めて、かなり印象強いお話でしたね。

 

「三人の糸紡ぎ女」も落語チックなコメディ。
怠け者な女がひょんなことから王子と婚約するために麻を紡ぐことになるが、一度も糸紡ぎをしたことのない女は途方に暮れてしまう。そんなところに三人の女が現れて......といったあらまし。
これまたオチがおもしろくてですねぇ。思いもよらないハッピーエンドに思わず声を出してツッコみました。「それでいいんかい!」って感じで。
だって麻を紡ぐのを糸紡ぎ女に全部任せて、主人公の女は何もせず王子と結婚して終わるんですよ!教訓もへったくれもあったもんじゃない。
なのに「ま、それでもいっか」って思えてしまう。
そんな躍動感と豪放なありさまが、本書に所収された童話の最大の特徴と言える気がします。

 

そして本命、ブレーメンの音楽師」
このお話はやはり発想がユニークですね。
だってロバ犬にわとり猫が集まって、街の音楽師を目指すんですよ!めっちゃ楽しそうじゃん。

......と読む前は思う訳だけど実際は全然キラキラしていなくて。なんせ主人公であるロバがブレーメンで音楽師をしようと志すのは、年老いて仕事ができず飼い主に殺されかけていて逃げたいというネガティブな理由なんですよね。
他の動物たちも老いにより居場所を失っています。悲痛な境遇の面子が集まって、音楽で食いつなぐためにブレーメンへと向かう、というのが「ブレーメンの音楽師」のあらすじ。童話とは思えないくらい辛気臭いね。

注目すべきは彼らがそんな辛い現状を抱えているのに、しかしながら全くといっていいほど悲壮感のない点です。
犬にわとり猫たちに、ロバは彼らをブレーメンへの旅路に誘います。半ば無責任ともとれるような朗らかさで。
彼らが悲惨な現状を話すとロバはノータイムで「ブレーメンへ行こう」と持ち掛けるのです。
ちょっとは悩めや。
でもそんなロバ自体も彼らと似た、居場所がなく死にかけているという境遇にあったからいい加減さはあまりないんですよね。
種族も個性も役職も違う彼らだけど、つらい目にあっていたのは同じ。
そんな彼らが足取り軽く、ともにブレーメンを目指すのが何とも素敵なんですよ。


ここまで語ると、敗残者たちが音楽で一花咲かすサクセスストーリーみたいに聞こえます。だがそこは我らがグリム童話、そんな王道展開はしません。

端的に申し上げますと、彼らブレーメンの音楽師はブレーメンに着きませんし楽器を手にすることさえないのです
ブレーメンの音楽師”とは、一体......?

物語は予想とはいっさい外れた向きにころがっていきます。
集まったどうぶつたちも、初日はブレーメンを目指して歩き出します。しかし、日が暮れて少し休むと、彼らはいきなり泥棒たちが住むアジトを強襲するのです。
そして彼らは泥棒たちから家を奪い、ずっとそこで住むことにしましたとさ。おしまい。

.......ね?変でしょ。
ブレーメンにも行かず、音楽もやらず、ただ泥棒から家をぶんどっておしまい。なんともヘンテコなお話です。

ただ立ち返って見れば、彼らの本懐はブレーメンで音楽師をやって人気になることとかではないんですよね。
彼らは飼い主に殺されかけていて、その現状から抜け出すことこそが真の目的でした。ブレーメンで音楽をやることはただの手段にすぎません。
だから現状を抜け出して安寧の地を見つけた時点で、彼らの本懐は遂げられているのです。

つまり、この「ブレーメンの音楽師」はブレーメンで音楽師になることが主題ではなく、悲惨な今から逃げ出すこと自体がテーマと言えます。
実際、読んでいて感じたのは「なんでもいいんじゃんなぁ」というような気軽さです。
たえられないほど苦しいなら何を目的にしてもいいから逃げだしていいんだよ。そんなあっけらかんとした優しさがつねに流れているんですね。

だから、この物語に言いたいことがあるとしたら、ただ一つだけ。
ロバが放ったこの一言に集約されるでしょう。

死ぬよりいくらかましなことなら、どこでも見つかるからな。

ただ、本当はそのようなメッセージすら存在せず、ひたすら賑やかなだけの物語なのかもしれません。
きっとそれでも、楽しいからいいんですよ。

実はさいごの一行で、このお話は実際にどうぶつたちを最近見かけた人からの伝聞だということが告げられます。つまりこれから、彼らがずっと家にとどまるか、再びブレーメンを目指して歩き出すかはわかりません。
それがまた良いんですよね。たぶん僕ら読者に、彼らのこれからを想像してもらいたいから、”しあわせに暮らしましたとさ、めでたしめでたし”みたいな結びにしなかったのだと思います。
彼らがまたブレーメンへと歩き出すか否かはどっちでもいいし、音楽をしてもしなくてもいい。
この投げやりとも言える自由さに、やはりどこか救われる気がします。
どこまでも朗らかで楽しいお話でした。

さぁ、お次はヨルシカ「ブレーメン」の感想に行こうぜ!

 

 

ヨルシカ 「ブレーメン


www.youtube.com

 

先に言っておきますと、僕はこの曲の歌詞がヨルシカの中でも1、2を争うレベルで大好きです。

なんて言ったらいいかな?どこまでも能天気で明るい、だけども詞の節々で暗さも感じられる塩梅が絶妙で。
陰鬱な感情も抱え込んだまま、「それでもいいから歌おうぜ!」みたいに語り掛けてくれるのが堪らなく好きなんですよね。
ヨルシカは普段から暗く尖った曲をよく歌っているから、尚のこと響きます。
(同じようなテイストの楽曲は「踊ろうぜ」くらいかな)

 

歌始まりの「ねぇ考えなくてもいいよ」から引き込む力が強いです。
「この音に今は乗ろうよ」という頼りになる言葉で、有無を言わさずリスナーを楽しい音楽の時間へ連れ出してくれる。
こんなに心強い存在はなかなかないですよ。

やはりそれは強く意識して作られたということが、spotifyポッドキャストからわかります。

 

open.spotify.com

.......suisさんのドン引きするレベルの天才エピソードは置いておくとして。
やはりこういう風に、聴いている人の居場所になれるように作られた楽曲って掛け値なしに素晴らしいものだなと再確認しました。

 

サウンドも聴いていて心地が良い。
シンプルで乗りやすいリズムに跳ねるようなピアノが重なって、自然と体が揺れます。
ギターリフはシンプルで、ゆったりとした空気感が醸される。
こういう曲調を、歌詞にも出てきますが、レイドバックって言うみたいです。直訳では「くつろいだ、リラックスした」という意味らしく、音楽でもそのような雰囲気やリズムを指して使われるのだそう。
勉強になるぜ。

そんな楽しくリラックスできるサウンドに、秀逸な情景描写が挟まり、景色と共に気持ちがどんどん軽やかになっていくのが良いですね。

ただうねる雨音でグルーヴ

ここは「ブレーメンの音楽師」で猫の面持ちを表す

「これでもう三日も雨が降りつづく」というような顔

という文章からとった歌詞かなと個人的に思いました。
それぞれ悲しいことを抱えているんだけど、皆集まって分かち合えば良いグルーヴを生むんだぜっていう感じ。
まさに”ブレーメンの音楽師”を表すフレーズでとても好きです。

あとここの歌詞も好き。

練り歩く景色を真空パック

踏み鳴らす足音でグルーヴ

”練り歩く景色を真空パック”って表現、純粋に良すぎませんか?
オシャレだし語感も面白い。何食べてたら思いつくんだろうなこんなん。
それにここの箇所は母音が”u”で統一されているから、声に出すと気持ちが良いです。
聞き入るよりかは一緒に歌って踊りたくなるのも、この曲の特筆すべき点ですね。

 

ノリの良いAメロに対して、Bメロは小休止といった装い。
歌詞も非常にシンプルです。

さぁ息を吸って早く吐いて

これ、やってみると分かるんですけど、なんか楽しい気分になりますよ。
普通、深呼吸はゆっくり吸ってゆっくり吐くじゃないですか。
そうすることで副交感神経が優位になり、心が落ち着いていくというメカニズムだから。
でもゆっくり吸って速く吐くと、何故か知らんけど「やったるぜ!」みたいな気持ちになってくるんですね。
その無根拠な気分の上がり方は、この曲にぴったりだなって思います。

 

で、MVのように助走のような間奏があった後、飛び跳ねるようにして入るサビがまた一段と楽しい。
(おそらく)トランペットの音がアホみたいに華やかだし、各楽器のグルーブ感が最高。

歌詞はTHE・ブレーメンな気楽さで、これまた最高です。

精々歌っていようぜ

笑うかいお前もどうだい

愛の歌を歌ってんのさ

あっはっはっは

「お前もどうだい」と超無責任に誘ってくる様はまさにあのロバそのもの。
極め付きは「あっはっはっは」ですよ。問答無用に理屈も不要。「楽しければいいじゃん」って聴いてる側に知らしめる説得力があります。

次のフレーズが、一番「ブレーメンの音楽師」という物語を反映したものになっていると思います。

精々楽していこうぜ

死ぬほどのことはこの世に無いぜ

明日は何しようか

暇ならわかり合おうぜ

ここマジ好きすぎるなー。
サビの最大のパンチラインに、ロバのセリフである

死ぬよりいくらかましなことなら、どこでも見つかるからな。

を模したフレーズを持ってくるのがめちゃくちゃいいですよね。
僕もあそこの言葉が読んでいて一番印象に残ったので、初めて聴いた時すごくうれしかったです。
「死ぬほどのことはこの世に無いぜ」、そうだよなぁ......。

他の言葉も元ネタを上手く踏襲していますよね。
「精々楽していこうぜ」は結局音楽師にならず、手に入れた家でのんびり暮らすことを選ぶ結末とハマっているし、「分かり合おうぜ」なんかはそれぞれの境遇を打ち明けるシーンにぴったりです。
”暇なら”と付ける軽さが肝ですよね。
ブレーメンの音楽師」という物語が持つ気楽さと優しさが、見事なまでに曲の中で落とし込まれています。

本当に思いやりのある歌詞で、「人を呪う歌が描きたい それで誰かを殺せればいいぜ」とか歌わせていた人間が書いた詞とはとても思えません笑。
ヨルシカの作風からかなり踏み出しているのも、この曲に強い説得力がある要因の一つなのでしょう。

 

聴き手への思いやりは至るところにあるのですが、最たる箇所は2番Aメロのここですね。

この音に今は乗ろうよ

乗れなくてもいいよ

一見すると無責任でテキトーなことを言っているように思えます。
だけど、「乗れなくてもいいよ」という言葉には優しさが溢れていると感じていて。
落ち込んだときに気分転換しようとして音楽とか本を読んだりするじゃないですか。それで気分が晴れればいいのですが、あまり上向かないどころか、娯楽ですら楽しめない自分自身が浮かび上がって、よりつらくなることがごくたまにあるんですね。あまり共感されないかもしれませんが。
そういう最悪な時ですら、「乗れなくてもいいよ」の一言できっと心が軽くなれる気がします。

 

そんな楽しく優しい「ブレーメン」ですが、2番のサビあたりから徐々に不穏なセリフが混じってきます。
「笑われてるのも仕方がないね」とか「何もかも間違ってんのさ」あたりはやや捨て鉢です。その後の「あっはっはっは」も、1番と比べやや闇がある印象。
でもすげーわかるんだよなー、こういう半ばやけな明るさ。
笑うしかないなら自尊心も虚栄心も捨てて、とことん笑ってやろうぜみたいな感じ。
底抜けに明るい曲と見せかけて、こういう後ろ暗さが時折顔をだすから、僕みたいな根暗な人間でもしっかり励まされるんですよね。

で、そういう裏も含めると「馬鹿を装うのも楽じゃないぜ」という言葉が効いてきます。
僕はピエロを演じてるだけなんだ。例え強がりだとしても、そう思いこんだ方が精神衛生上良いのでしょう。

2番サビの最後で突如放たれるフレーズは、聴く度笑ってしまいます。

同じような歌詞だし三番はとばしていいよ

ぶっちゃけすぎだろ笑。
確かに大体の曲は三番同じような歌詞だけど!それを言っちゃあ、おしまいよ!
急にメタな発言が挟まるのはグリム童話でもあったし、ある意味原作リスペクトなのかもしれない。
自由奔放なユーモアって感じで、いいですよね。

 

また、こんな元も子もない発言をしておいて、3番に一番ストレートな歌詞を持ってくるのがなんともヨルシカらしい。

ねぇ心を貸して今日くらいは

ここはかなり近い距離を感じられる呼びかけですし

お前ら皆僕のことを笑ってんのか?なぁ

こっちはかなりシリアスなセリフ。
自分のことを笑われていると感じるのって被害妄想に近い気がしますが、自意識クソデカの民としては共感できてしまいます。
お前も笑ってるんだろう!

あとここだけ「あっはっはっは」って歌わず、演奏のみになっているのですが、youtubeのコメントで”周りが笑っている表現”と言われてる方がいてハッとしました。
あそこって基本有象無象だけど、それだけに鋭い視点のコメントもあったりするから侮れないよね。

そんな心の闇が露わになった後に歌われる言葉が、この曲最大のメッセージなのだと思います。

死ぬほど辛いなら逃げ出そうぜ

数年経てばきっと一人も覚えてないよ

「死ぬほど辛いなら逃げ出そうぜ」。これですよ。
色々つらいことはあるけど、死ぬことはないし、逃げ出してもいい。
こんなに救われる言葉もないなと思います。

「数年経てばきっと一人も覚えてないよ」も、今抱えている問題がふっと小さいものだと気づかされるようで、心が軽くなります。

悲惨な状況に追い込まれて、自ら死ぬことを考えてしまうほどに心が弱っている時って、やっぱり視野が狭くなってると思うんですよね。
それはもちろん当人のせいじゃなくて、周りの環境が視野を削っているのが大半なのでしょう。
だからこそ、死が頭にちらつく程つらい場所にいる人に掛ける言葉は、「頑張れ」じゃなくて、この曲のように「逃げてもいい」というような言葉なのだろうなと。
それこそ、”死ぬよりいくらかましなことなら、どこでも見つかる”から。

ブレーメンの音楽師」が持つ自由な優しさが、今を生きる人を救い出すメッセージとして僕たちの手を取ってくれる。
僕が生きるこれからに、強い味方を得たような気分です。
このような曲と巡り会う機会をくれた「ブレーメンの音楽師」とヨルシカに、改めて感謝したいなと思います。

本当にありがとうね。

 

明日は何しようか

暇なら笑い合おうぜ

そのうちわかり合おうぜ

 

 

MVについて

この曲はMVも本当に素晴らしいのでちょっと考察も兼ねた感想を。

まず、”足元だけを映す”っていう発想が素晴らしいですよね。
背景と靴でその人の現状が、歩み方でその人の心情が十二分に伝わる。
街でボロボロの靴を履いて石を蹴りながら歩く少年(?)、雨の中の高所でバレエを踊る女性、点字ブロック白杖を沿わせて歩く男性。

途中、上履きで外を歩く子どもが映るシーンがあります。遊具があることから、場所はおそらく小学校。
上履きで校庭に出るシチュエーションというのは、個人的に地震避難訓練以外だと、いじめしか思いつきません。

様々な人が、各々の辛い今を抱えているというのが、これ以上ない表現で映されています。

 

しかもこれって「ブレーメンの音楽師」そのものなんですよね。
それぞれが違った境遇を抱えている。あの子が猫で彼が鶏。僕が犬で貴方がロバかもしれない。
別々の悩みを抱えて、歩いている。
そんな人々がこの「ブレーメン」で一緒に音に乗っていると考えると、楽しさもひとしおです。

 

先ほど「ブレーメン」の最大のメッセージだと言った3番サビのフレーズなのですが、このMVにおいても印象的なシーンが置かれています。
3:25あたりのシーンですね。
上履きを履いて校庭を歩いていた子。
あの子が校門まで辿り着いて、その外が映される。
そして

死ぬほど辛いなら逃げ出そうぜ

数年経てばきっと一人も覚えてないよ

この言葉。
学校という閉鎖的な空間から、逃げ出しても構わない。
ヨルシカは中高生にも人気みたいですが、この曲で気持ちが楽になるティーンエイジャーは、間違いなくいると思います。

 

あとこれは本当にあんま曲関係ないんだけど、他のヨルシカのアルバムにでてくる人物がちらほら出てるっぽいのもいいですよね。
1:44の革靴を履いている青年はほぼ間違いなく『だから僕は音楽を辞めた』のエイミーだろうし(3:53で海にたどり着いているのがなんとも......)、2:44の男女はおそらく『盗作』、『創作』の音楽泥棒とその奥さんでしょう。
カセットテープや煙草、散った桜など関連性があるものが落ちているし、”爪先立って”ますもんね。

そういえば、「死ぬほど辛いなら逃げ出そうぜ」は力強い希望を持つ言葉なんだけど、音楽泥棒の奥さんとエイミーにとっては無意味になってしまうんだな.......。つら。

 

 

以上、小説と楽曲の「ブレーメン」の感想でした。
”長くなった”という「又三郎」の反省を活かさず、より長い記事になりましたがまぁいいや。
あっはっはっは。

では、ここまで読む忍耐力のある方は是非、次回の「月に吠える」でお会いしましょう。