今日27歳の誕生日です。
ですが、故あって今ベトナムでその日を迎えています。
二週間後には帰る予定だけど、もう今すぐにでも帰りたいです。
お味噌汁が恋しい。

道にはどこも夥しい量のバイクが行き交っています。
歩くだけでも命懸けだぜ…!
それはさておき、27というと、もう立派な大人である。
ようやく就職したばかりで、未だに一人前の大人という実感は一切ないのですが。
ありがたいことに、それなりにお給与はもらえていて、学生の頃と比べて自由にお金を使えるようになった。
でも、派手に使おうとは思えない。
外食は週一回に留めたいし、それも千円以上になると渋りたくなる。
飲み会は誘われたら行く程度。
お酒はちょっと美味しく思えるようになってきた、けど酔い潰れるほど飲みたくない。
大きな買い物としては家具です。
就職するにあたり引越して、家具を色々取り寄せました
本棚を買った。
照明も買った。
そして今まで買い貯めてたグッズとか本とかCDとかを飾った。

めっちゃいい。
とても自分好みの部屋になって、なんというか、もう叶えたいこととかないなって感じた。
正直もう大体のことに満足しているんですよね。
バリバリ稼ぎたいわけじゃないし、結婚もしたいわけじゃない(てかそもそも相手がいない)。
衣食住と、娯楽と、ちょっとの贅沢があれば、それで別に足りないものは何もない。
劇的なことはなく、ただ細々と変わり映えのしない毎日がこれから続くのだろう。
短く、濃い人生を生きた人への憧れは少しあります。
27歳といえば、ジミ・ヘンドリクスやカート・コバーンなどの著名人が同じ歳でなくなる、27クラブが有名です。
彼らは僕と同じ歳で、世界的な知名度を得るほどの成功を収め、そして亡くなっている。
その生涯は、人生の価値がその長さに比例しないことを、雄弁に語っています。
若く死しても、後世に名前は語り継がれ、彼らが残した作品を今も大勢の人が愛している。
今後も怠惰な生を、ダラダラと無駄遣いしていくであろう僕とは、大違い。
でも、やっぱり、それが美化されすぎるのは、なんか不健全に感じる。
上手く言えないけど、醜く老いた末に死んでしまうとしても、やっぱり最後まで生きた方がいいのだと思っています。
自分から命を投げ捨てたカートより、今になって再結成してバンドを続けてるギャラガー兄弟の方がカッコいいし。
ニルヴァーナあんま知らんけど、ファンはやっぱり新曲が聴けるなら聴きたいでしょう。
ちょっと話は逸れるのだけど、赤い公園を最近聴くようになりました。
「消えない」がとにかくカッコよくてねぇ。
ジャキジャキした音作りのギターリフがめちゃんこイカしてる。
ボーカルである石野さんの歌声も、芯があって耳に残る。
そして、一番気に入ってるのが、「消えない」という信念の込められたメッセージです。
この曲がリリースされたのは、赤い公園のボーカルが入れ替わった直後。
ボーカルの脱退という大きな危機を迎え、バンドの存続が危ぶまれる中に、この「消えない」を決意表明として世に出したのが、あまりにもカッコいいんですよ!
終わらせたっていいけど
終わらせるなら今だけど
(中略)
こんな所で消えない
消さない
でもその後、赤い公園は中心人物である津野米咲さんの急死により、解散してしまいます。
悲しい。ほんとに。
この人の作った曲は二度と聴けないと思うと、とてつもなく切なくなります。
津野さんの死因は定かではないですが、発見時の様子から自殺と推測されているようです。
本当だとしたら、これほど悲しいことはないと思います。
もっと多くの素晴らしい曲を世に出してくれるはずだったのに、その機会は永遠に失われてしまいました。
人が途中で命を投げ出すのは、たとえは悪いかもだけど競馬のレースの途中で馬券を破り捨てるようなものだと、たまに思います。
賭けてた馬が、スタートで出遅れたりして、もう途中で観るのをやめたくなるような、投げ出してしまいたくなるような。
でも、最後方にいたとしても、最後におおまくりする可能性もあるかもしれない。それなのに捨ててしまうのはもったいないと、独りよがりかもだけど僕は思います。
ハズレの馬券だったとしたら、ツいてなかったなって笑えれば、それも悪くなさそうだし。
とりあえず今は日本に戻って愛しい自宅に帰りたいです。
帰ってきて最初のご飯は、ちょっと高めのお寿司にしよう。
よし、決めたぞ。
僕らは大人になったんだ
まだ僕は生きていく



