限りない日々の逃走劇

主にtacicaを褒め讃えるためのブログです

君でも聴ける”君”の歌

どうも皆さん、ご無沙汰しております。

突然ですが皆さんは今日も君を愛していますか?
君に好きだと囁きましたか?
君を思って眠れない夜を過ごしていますか?

僕は君を愛してないし君に好きとも言っていないし夜はぐっすり眠れています。

そもそもよぉ~

 

 

 

 

 

 

 

歌番組をたまに見るんですが、体感で7割くらいが前述したようなどこの誰だか知らない”君”を讃えるような曲です。
猫も杓子もラブラブラブ。
その愛の輪に加われぬ僕は、今日も枕を涙で濡らすのでした。
あゝ無情。

back 〇umberとか〇fficial髭男dismとか一生聴けない。
最早敵です(彼らはなんも悪くないんだけどね)。

勿論、誰かを愛し誰かに愛されることは素晴らしい事だと分かっています。
その偉大さを讃えた歌が世のメインストリームとなるのは必然でしょう。

だから僕の言ってることなんて所詮負け犬の遠吠え。

でも......!、でもさぁ!!

きっと何者にもなれない僕にだって
音楽を聴く権利くらいあるだろ!!!

 

......取り乱してしまいすみません。

そんな愛に飢えた悲しきケダモノである僕にも、素直な気持ちで聴くことができる”君の歌”が存在します。
それは家族や恋人或いは友人といった、愛しい人を指す”君”じゃありません。
もっと普遍的で、無条件な”君”。

そう、リスナーを指す”君”です。

あなたが聴いた瞬間、あなたはその曲の”君”になれる。
そんな懐深い曲たちが、この世には存在します。

ということで、僕でも聴ける”君”の歌をいくつか紹介したいと思います。
当然”君”がリスナーを指しているというのはあくまで僕の一解釈にすぎないので、信じるか信じないかはあなた次第です(責任逃れ)。

 

最初に書いてあることに共感できる君。
君と僕は仲間だ!
僕が好きな曲を、きっと君も気に入ってくれるだろう。
これから紹介する曲が、少しでも君の過ごす日々の力になることを心から願っている。

 

愛する君がいる方々。
帰れ!💢
......と言いたいところですが僕は器が大きいので、あなた達にもこの記事を見る権利を差し上げましょう(誰から目線)。
こういう形の”君”もあるんだなと慮っていただけたら幸いです。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATIONUCLA


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トップバッターは我らがアジカン
言わずと知れたバンドなんで紹介する必要性はないでしょう。
最近ではぼっち・ざ・ろっく!で楽曲がカバーされたことで話題になりましたね。

そんなアジカンの歌う詞なんですが、これがまた聴く人にやさしいんですよ......。
辛い日々を生きて行く中ですり減って、閉じこもろうとする僕らに、「終わりじゃないだろう」と彼らは語り掛けてくれるんです!

UCLA」はその最たる例とも言える曲。

若者をイメージして詞を書いてると思うんですが、その理解度がまあ高いこと。

割れた画面をスワイプ

撫でた指の先

”割れた画面”ってところが再現度めちゃ高ですよね。
僕もなんかいっつも画面割れちゃうんだよなぁ......。

で、女性ボーカルの方 (Homecomingsの畳野彩加さん)が若者である”わたし”の視点で歌うんですが、これまた共感しかない。

わたしはわたしを抱きしめたいだけ

これ本当、核心を突く言葉ですよね。
誰かと繋がりたいと思うのは、結局自分自身を受け入れたくて、でもそれは”わたし”だけでできる行為じゃないからなんですよ。きっと。

そんなジレンマを嘆くような「Oh, my」の連呼。
痛ましい現実がある中で、アジカンは君に偽りのない言葉を送ります。

呼び声が君に届くように

出会うべき人と出会うように

君はまだ雨宿り

耳だけは澄まして時を待つ

いや~~~、ここの詞マジでいい。
輪の中に入れない疎外感を分かってくれた上で、「まだ雨宿りだから大丈夫。だけど助けてくれる声には耳を傾けて」と言ってくれる安心感。
アジカンの”オールライト精神”が前面に表れています。

まさにぼっちちゃんのように、周りと馴染めなかったり自分に自信が持てなかったりする僕等にも、アジカンはそっと手を差し伸べてくれるのです。だからこんなに好きなんだろうなー。

ありがとうゴッチちゃん

 

 

ORESAMATREK TRUNK」


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続いては音楽ユニット、ORESAMAの一曲。
80年代ディスコ調のメロディーと現代のEDMが融和した、非常にダンサブルな音楽性が特徴的なアーティストです。

ORESAMAは現在(2023年)活動休止中で、「TREK TRUNK」は休止前の最後にリリースされたEPの表題曲。
そういう背景もあって、曲に出てくるは明らかにORESAMAのファンを指したものになっています。

で、そのファンである君に向けたメッセージが凄く素敵で。”聴くだけで君になれる曲を紹介する”という本記事の趣旨と厳密には違うし、そもそも僕自身ORESAMAを聴き始めたのがごく最近なのでこの曲の指す君にはなれないのですが、リスナーに向けた”君”としてこれほどまでに純粋で思いやりのある曲はないなと感銘を受けたので是非話したいなと考えました。

 

導入は程々に曲自体に触れていきましょう。
テーマとしては”旅路”で、飛行機が飛び立つ音が入っているように空港の風景が浮かびます。
活動休止といってもそれほど深刻な感じではなく、ORESAMAのお二方は「飽くまで充電期間でありこれからの活動の為」と話されています(ORESAMA、今秋より一時活動休止で充電期間に「ネガティブなものではなく自分自身と向き合う時間」(コメントあり) - 音楽ナタリー)。

とはいえ不安になってしまうのがファンというもの。
「本当に帰ってきてくれるのか?」そんな心配に対して、ORESAMAは曲の中で約束をしてくれます。

それじゃ きゅっと指切りで

さめないリズムに

きっと大丈夫って魔法かけよう

TREK TRUNK ひとつ持って

またね 約束

旅はまだ終わらないのさ

Good luck!

いやこんなん泣いちゃうでしょ。
僕がORESAMAのファンだったらと想像するだけで目がウルウルしてくるんだからファンの人らはもう大号泣だろうな......。

曲調がまたとても爽やかで悲壮感は微塵もなく、希望に満ちているのがいいですよね。
また帰ってきてくれるということを楽曲で信じさせてくれる。それも本当に魔法のように、別れの悲しみを再会の喜びに変えて。
これ程純粋で綺麗なアーティストとリスナーの在り方ってないんじゃないかな。

そしてなにより君に向けた終盤のフレーズが本当に良いんですよ。
見てくださいよこの歌詞。

たとえ遠く離れても

その輝きがふっと孤独に痛むときは

そっと浮かべてね

君を思う歌が 鼓動が

ここにあること

やさしすぎん?
”君を思う歌が 鼓動が ここにあること”ですよ......!なんて思いやりのある言葉なんだろう。

個人的な好みなんですけど、所謂応援ソングと呼ばれる類の曲があんまり好きでなくて。なんというかあなたに僕の何が分かるんだ?って思っちゃうんですよね。
だからある程度痛みのある曲(tacicaとかさっき話したアジカンとか)じゃないと励まされない、つまるところのひねくれ者なんです。

一方、この曲は明るく前向きだけどスッと受け入れられるんですよ。
それはきっと”君”の対象がすごく具体的だから。ORESAMAをいつも聴いていて、ライブで一緒に盛り上がってる人達を実際に思い浮かべて、本心から書いた詞だからこそ、ここまで素直に心に響くんだろうなって思います。

この曲の君になれるORESAMAファンの方達は本当に幸せだろうなー。
正直羨ましいです笑。

あと、同じEPに収録されてる「NIGHT BEAT」も最高にエモ&チルなのでおススメです。


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米津玄師「WOODEN DOLL」


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はい、いつの間にやら日本の音楽業界を代表する存在となっていた米津さんです。説明は不要でしょう。

最近はムキムキマッチョになったりトラックに轢かれたりとマルチな活躍が目に留まります。

国民的歌手の姿か?これが......

そんな(どんな?)超売れっ子アーティストの米津さんなんですが、彼の書く詞は生きづらさを背負う我々の気持ちに、強い理解を示してくれています。

例えば「LOSER」なんかは超人気の曲で、正直聴く前はどこが敗北者やねんとか思っていたんですけど、ちゃんと歌詞に目を通してみると実はかなり共感できるんですよね。

特にこことか。

踊る阿呆に見る阿呆

我らそれを端から笑う阿呆

デカイ自意識抱え込んではもう 摩耗

すり減って残る酸っぱい葡萄

すげぇわかる。
てか俺そのものじゃん。
”端から笑う阿呆”とか”デカイ自意識”とか全てに共感できちゃって笑っちまうね。
”酸っぱい葡萄”なんか身に覚えがありすぎて泣けてくるぜ。
所詮この記事も、恋人がいない人間の無駄な強がりにすぎないのさ。
はーーーー。つら。

 

横道ついでにもう一曲触れると、「POP SONG」は歌ってることに毒がありすぎてニヒルな笑みが浮かびます。


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誰でもいいけど君がいいんだよ

愛を歌っておくれ

それもまた全部くだらねぇ

ひっでぇ笑。
米津さん自身、純粋なラブソングとか結構歌っているのにそれら全てを蔑む毒の塊のようなフレーズ。
君の使い方がまた痛烈ですね。それこそ冒頭の、”どっかの誰かが愛する君を讃えたラブソング”への皮肉に聞こえます。
誰もが認める大人気アーティストになっても、ここらのブラックな面をしっかりと抱え込んでいるのが好きですね。

 


謎めいているけれど、意外に僕等と似ている米津氏。そんな彼が生きづらさを前面に出して、その上で強く肯定しているのが「WOODEN DOLL」なんです。

ぽこぽこ鳴るメロディアスな打楽器や、ナチュラルな音作りのギターにより、非常に祝祭的な明るい雰囲気が演出されています。
また3拍子のリズムも楽し気で、聴いていて心地いい。

そして歌の中には、聴く人と真剣に向き合った優しさが込められています。
身近で親しげな雰囲気で呼びかけられる”ありとあらゆる不幸を 吸い込んだような顔してないで”の言葉でふっと心が軽くなるし、続く

ああ、恐ろしいことばっかだ

楽しむことさえもそう

もう、後になって思い出に

ぶん殴られるのが嫌なんだ

この歌詞で一気に曲が持つメッセージの説得力が増します。
”楽しむことさえも”って所が肝ですよね。楽しい時を過ごせたとしても、(でもこの時間もいつか終わるんだよな.......)とか、後になって(あの時は楽しかったけど今は......)みたいに思ってしまうんじゃないかと後ろ向きな考えがよぎってしまう感じ。マジワカル。
驚くほど僕等の、ていうか僕の感覚と似ていて信頼せざるを得ません。

そして何よりも素晴らしいのが次の1番Bメロのフレーズ。

絶望や諦観がどれほどの痛みを生むのか

他の誰かにわからない あなただけが正しさを持っている

米津さん......、いや、ケンちゃん...!
ここまで聴き手をいたわる歌詞なかなかないですよ。

これは僕も含めた話なのですが、所謂自己肯定感なるものが低い人間は些細な失敗で甚大な劣等感を抱いたり、自分自身が嫌になったりします。人からすれば、そんなことで傷つくなんて大袈裟だろうと思われるかもしれない。
だけど、人が何に対してどれくらい傷つくかなんて千差万別だし、度合を明確な数値として測ることもできないから、結局その正しさっていうのはきっとその人自身の心にしかないんですよね。
それこそが”あなただけが正しさを持っている”に込められた思いなんじゃないかな。

あくまで”あなた”に向けているのが大事なポイント。
「自分だけが正しい」と言えば傲慢な響きを持ってしまうけど、誰かから「あなただけが正しい」と言われることで傲慢さは消えて、純粋なメッセージとして受け入れられる。
アーティストとリスナーという特異な関係性が産む純然たる優しさが確かにあると思います。

 

そして、より優しいのがCメロの詞。
生きづらさを抱える人間に特効です。

あなたが思うほどあなたは悪くない

誰かのせいってこともきっとある

痛みを呪うのをやめろとは言わないよ

それはもうあなたの一部だろ

でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど

誰かがくれたもの数えたことある?

忘れてしまったなら 無理にでも思い出して

じゃないと僕は悲しいや

ケンちゃん......!僕たちは親友だ......!
いやほんと何でこんなにこっちのことを分かってくれてるんだろうね。
「あなたが思うほどあなたは悪くない 誰かのせいってこともきっとある」ですよ。この言葉に救われる人は多いんじゃないかな。

痛みを呪うこと自体を”あなたの一部”と言っているのも好きな点。
自分を責めることってネガティブだし良くは見られないけれども、その人が生きて行く中で培われた一つの個性でもある。
だからこそ自分を呪うことを否定しないで”あなたの一部”だと認めることは、真なる意味での自分自身への肯定に繋がるような気がする......ってこの曲を聴いていて思いました。

そんなあなたへの深い理解を示した上で、”誰かがくれたもの”に対しては結構強めの言葉で訴えかけているところが本当にリスナー思いだなと。
ちょっと逸れた話になりますけど、人生において取り返しのつかない行為、過激な例だと自殺や通り魔殺人を起こしてしまうのって、自縛的な呪いや世の中への恨みが引き金になることが多いのかなと思います。で、それを踏み止まれるか踏み止まれないかの差は、結局のところ愛する、或いは愛される誰かがいるかいないかの差なんじゃないかなって。
どうしようもなくなって、絶望して、全てを投げ出したくなった時に、自分の大切な人の顔が浮かんで思い直せる。
愛の存在が、取り返しのつかない行為のセーフティになってくれる。
.......だけど愛された経験がなかったり、そういう存在が身近に感じられないと、セーフティが錆びついて機能しなくなってしまう。そして暴発が起きて自分を含めた誰かの命を奪ってしまうかもしれない。
だからこそ”愛しい君”は偉大だし、それに同調できない人間である僕は危うい存在なんです(苦笑)。

勿論、愛する人がいない人間が必ずそういった行為を起こすわけじゃないと思うし、逆に愛する人がいてもそういう行為を行ってしまうこともあるでしょう。
でも、取り返しのつかない行為が頭をよぎった時に、それを一番に止めてくれる存在が愛する人だというのは間違いないんじゃないかな。

そう分かってるからこそ、米津さんは「誰かがくれたものを無理にでも思い出して」と強く訴えかけているんだと思います。
「あなたも誰かがくれたものを持っているでしょう?だから投げ出さないで」って。
そう呼びかけることで、聴く人の錆びついたセーフティを蘇らせようとしているんじゃないかな。

最後の言葉は、リスナーと正面から向き合っているからこその一言でしょう。

どこにもないと泣く前にさ

目の前の僕をちゃんと見つめてよ

これだけ深慮で、聴き手を思う詞を書く人が現在トップアーティストとして活躍しているんだから世の中捨てたものじゃないなと思えます。
これからも末永く活動してほしいですね。

 

二人称が出てこなかったから候補から外れましたが、同アルバム『YANKEE』内の「リビングデッドユース」もまさしく(米津氏含めた)僕等の為の曲になっているので聞いたことなかったら是非。
僕は朝の移動時間によく聴いて何とか頑張ろうって気持ちになっています。


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精々生きていこうとしたいんだ

もう本当に、これだけなんだよね。

 

 

tacica「ナニユエ」


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お次はこのブログでお馴染みのtacica
僕の最愛のロックバンドです。

tacicaの歌詞は抽象的な表現や暗喩が多く使われ、その内容も”生と死”や”孤独”といった重めのテーマをよく扱っているので少しとっつき難いかもしれません。
愛しい君へ送るラブソングとは真逆の方向性ですね。まかり間違っても「君のドルチェ&ガッバーナのその香水のせいだよ」とか歌わない笑。
いや馬鹿にしてる訳じゃないですよ!(ほんとに(>_<))
ただ、世間一般で流行るようなラブソングに馴染めない僕にとって、彼等の歌にある内省的な姿勢がある種の救いとなっていることは事実です。

そんなtacicaの曲に出てくる”君”は、曲ごとに意味合いが違っているような気がします。
例えば、「HALO」や「命の更新」に出てくる”君”は自分自身(歌における主人公)を指しているように思えるし、「ordinary day」とかは普通に愛しい誰かを表す”君”っぽい。
ただどれも限定されていなくて、聴き手に広い解釈を許しているところが好きなんですよね。
「SUN 太陽」って曲にこんなフレーズがあります。

聴こえていたのは誰かの為の歌や

彼方のキミを讃えるような歌じゃない

これがイメージに近くて。
誰かの為でもなく、曲を作った人間が讃える何処の誰かも分からない”キミ”を讃える為の歌でもない。
ただそこにあるだけで、それを聴き手が自由に受け取れるのがtacicaの曲なのかなと。

で、僕はそんなtacicaが大好きな訳ですが、彼らの曲の性質上リスナーである僕等に向けたメッセージみたいなものはあんまりなくてですね。
うーん、どうこじつけてこの記事に入れるかと頭を悩ませていました。
そんな矢先にリリースされたのが「ナニユエ」だったんです。

 

ナニユエくんなるプリティーな生物が主役で、サウンドもピアノが入ったりと従来のtacicaでは考えられない程に開けたこの曲。
しかしながら歌詞に少し目を向ければ、彼等の変わりない姿勢が見えてきます。

盛大なフィナーレはどうせ観られない

故にどうかしそうだよ

夢にも出てきそうだよ

それ故に泣き出しそうなの

何故に生きているんだろう

うん、隠すまでもなく重いですね。
「ナニユエ」の命題、それは何故生きているのか。
誰しもが抱えて、そして答えを出せない問いがこの曲のテーマなのでしょう。
一見かわいい存在に見えるナニユエくんも、レゾンデートルを見出せず涙を流し続けているっていう、実はかなりハードなMVですよね。

そして問いは、彼らが何故に音楽を続けていくかという理由に発展します。

誰の為の歌

途方に暮れたまま

探していたのは

僕の為の歌

そうなんですよねぇ。
彼等が探しているのは、あくまで彼等の為の歌なんですよ。
tacicaは誰かに受け入れられる為の歌ではなくて、自分たちが好きな音楽や猪狩さん自身が納得できるような詩を追求している。
それは前々から感じていたし、だからこそtacicatacicaなのだろうと思います。
でもそれ故に、一リスナーである僕に向けている訳じゃないんだと、少し寂しく思うこともなくはなかったです。

だから、次の言葉を聴いた時は本当に感激しましたね。

誰の為の歌

途方に暮れて 尚 行こう

キミの為に歌う

何故に生きているんだろう

何故に生きていくんだろう

この”キミ”って俺やん......!

......いや、勿論名前の付いた僕個人でなくて、tacicaのファン或いはこの曲を聴いている人を指しているのは十二分に理解しているんですけど、まさかこういう記事を書こうとしている最中にtacicaがリスナーを指す”キミ”を歌ってくれるとは夢にも思いませんでした。
”僕(アーティスト)の為の歌”を”キミ(リスナー)の為に歌う”。
なんと素晴らしい事であろうか。
どこか僕等とは異なる場所にあったような彼等がこう歌ってくれるとは.......、ちょっと感無量ですよ。

そして何故生きるのかという問いの結末はなんともtacicaらしくて、嬉しいです。

故にどうかしそうだよ

夢にも出てきそうだよ

それ故に泣き出しそうでも

何故に生きていたいだろう

生きていたいだろう

”生きていたいだろう”、この言葉で終わるのがやっぱいいですよね。
「何故に生きるのかという問いの答えは出てこない。だけど生きていたい事だけは確かなんだ」と。
人生で抱える重い悩みを主眼に置きつつも、最後に前を向けるような言葉を持ってきてくれる。そんな彼等の曲に僕は今まで支えられてきたし、これからも頼りにして生きていくでしょう。

 

 

石風呂/ネクライトーキー「ティーンエイジ・ネクラポップ


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陰キャの皆さんお待たせしました。
我らが根暗の4等星、石風呂とネクライトーキーです。

何で名義が二つあるねんって話ですが、元々ボカロの曲を作っていた石風呂さんという人がネクライトーキーっていうイカしたバンドを組んだからです。
なのでボカロの方が原曲で、バンドの方はそのセルフカバーという立ち位置になっています。どちらを聴くかはお好みでどうぞ。

両方で作詞をしているのが朝日さんって方で。
この人の書く詞の魅力は何と言ってもそのユーモアと、裏に潜んだ憂いにあります。
根暗なダメ人間の描写が的確で、それでもユーモアがあるから自虐として笑えてしまう絶妙な塩梅。
例えば「ロック屋さんのぐだぐだ毎日」って曲のこことか大好きです。

段々わかっていく自分の限界とか

目を逸らしていく余裕で駄目人間!

いぇいっ!!

「いぇいっ!!」じゃねぇよ!
って思わずツッコみたくなる。このとんちきな感じがいいんですよね。
共感しつつも楽しく聴けてしまうこのテイストは他じゃなかなか味わえないと思います。

それでいてふざけた歌詞しか歌わないのかと言えばそんなこともなくて。
「浮かれた大学生は死ね」っていう曲があるんですが、タイトルからしてふざけた曲のように見えて、実際ふざけてもいるんだけど、その中に日々の生活や世の中への切実な思いも歌われていて、それがなんとも言えず良いんですよ。

涙を流しながら 少しだけ笑うような

嘘だらけの夜だった

言葉をぶつけながら それを溶かすような

そんな人になりたい 今すぐなりたい

リアルな感傷と切実な理想。
タイトルからは想像できない、シリアスな心情が曲に反映されています(オチはタイトル通りだけど)。

そんな暗さと明るさを兼ね備えた彼らが、ティーンエイジに向けて歌ったのが「ティーンエイジ・ネクラポップ」です。
え?俺はもうティーンエイジャ―じゃねぇんだよ殴るぞタコって?
まぁまぁそう慌てなさんな。
この曲は紛れもなくティーンエイジに向けられてはいるんですが、それだけではない気がしていて。哀しい事に僕ももうティーンエイジではないけども、この曲から疎外されるのか言えば全くそんなことなく、今聴いても勇気づけられるんですよね。

最終的にもし 最終回がもし

ハッピーエンドでなかったとして

それでも笑えたら 涙も流せたなら

なんて幸せなのだろう

こことか寧ろティーンエイジだった頃より響きますもの。
2番のサビもそうですね。

さりげない日々よ、聞いてくれ

意外にも君が好きなのだ

帰りの電車、窓の外

夕暮れが睨む町並みは

いつまでも...

うーん、ノスタルジー...。
夕暮れ時の電車から見る風景がありありと浮かびます。
......僕は自転車通学だったけど。
”意外にも君が好きなのだ”って言い回しがまたかわいくていいですよね。この”君”は当記事でフォーカスしている”君”ではないのですが、それでもとても受け入れやすい”君”の在り方ですね。
さすが朝日さんだぜ。

で、該当する”君”のフレーズがこちら。

僕の声がもし 君の声がもし

何処へも行けず消えるくらいなら

間違いも正しさも 構わず歌っちゃえよ!

いや~やっぱここ好きだなぁ。
個人的に正しさについて結構拘泥してしまう人間なので、気持ちが軽くなりますね。
「歌っちゃえよ!」っていう軽い感じなのも好きな点です。無責任と言えばそれまでなんですが、なんかその無責任さが親しさ故のものに感じられて良いんですよ。
そこら辺の飲み屋のおっさんが後押しするような気さくさとでも言いましょうか。
...良い喩えではなかったかも。
とにかく、ここの”君”はかなり戸口が広くて好きですね。
石風呂、もとい朝日さんはやはり陰キャにも優しい。

でもやっぱりこの曲のメインターゲットはティーンエイジで、今を生きる少年少女らに寄り添ったメッセージが歌われています。

ティーンエイジよ、泣いてくれ

いつかはそれもできないで

立ち尽くす日が来るでしょう

そのときまでは泣いてくれ

ここもまた好きですね。
泣くことを否定せず、かといって美化もせず、いつか立ち尽くすだけになってしまうからその時まではちゃんと泣いてくれと語りかける。なんと言うか、理想的な先人の、そして曲の在り方に感じられます。
今もこの曲に支えられているティーンエイジャーがいるのだろうか。
いたら嬉しいね。

で、この曲はティーンエイジの為だけに歌った曲ではない気がするのは、きっとこの最後の言葉によるものだと思います。

ティーンエイジよ永遠に

未来のことを睨みつけながら行こう

”永遠に”。この一言ですね。
確かに僕はもうティーンエイジではありません。しかしながら嘗てティーンエイジだったことは間違いないし、あの時抱えていた曖昧な憂鬱もきっと未だどこかに残っているんですよね。
僕だけじゃなく、このブログを今見ている成人したあなたも、優し気な掃除のおばちゃんも、ツイッターで人間関係がどうのこうのと無差別にアドバイスを見せびらかす胡散臭いビジネスアカウントの持ち主も、みんなティーンエイジがあったわけですよ。
その未熟で、でも純粋だった思いを忘れずに生きていこうじゃないかという気持ちが”ティーンエイジよ永遠に”の言葉に秘められていると僕は思っています。

だからこの曲は、すべてのティーンエイジャーとかつてティーンエイジャーだった人たちの為の曲だと言えるんじゃないでしょうか(12歳以下のちびっこたちよ、スマン!)。
きっとこの曲を聴く度に、僕はティーンエイジに抱えていた思いを呼び起こせるはずです。

ありがとう朝日さん、ありがとうティーンエイジ。
そして浮かれた大学生は死ね。

 

サカナクション「human」

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(これだけyoutube公式のがないのでspotifyです。すまん)

最後はみんな大好きサカナクションの一曲。
サカナクションと言えば打ち込みとシンセが派手なダンスミュージックや80、90年代のポップスのリバイバル的な曲が有名でしょう。

しかしながらこの「human」はエレキギターとピアノが主役の正統派ロック。勇ましいエレキの音とエモーショナルなピアノの音が混ざり合い、タイトルに負けない壮大な空気感を醸し出しています。
そして歌詞はまさしく”人間”としか名付けられないほどに人間の根源的な素晴らしさを讃えるもので、聴く度に慰めとも勇気ともつかない深い感慨が呼び起こされるんです。

その内容に踏み込む前に少しだけ曲のバックグラウンドについて触れておきますと、この「human」が収録されているのは『シンシロ』っていうアルバムなんですよね。

 


で、個人的な解釈なんですけど、この”シンシロ”っていうのは同時化を意味するシンクロをもじったものだと思っていて。というのも収録されている曲がどれも何かと重なる感情をテーマにしているように感じられるんですね。
同アルバム収録の「セントレイ」の次のフレーズなんかが顕著です。

1000と0と線と点の裏 重なる世界

僕と君が繋がる世界

この”君”もリスナーを表した”君”っぽいですよね(関係ないけどここの1000と0と線と点ってところ気持ち良くて好き)。
また、サカナクションが本格的に人気になり出したのはこのアルバムがリリースされた時期で、歌詞もモラトリアムの霧の中にいるような恐れから、それを抜け出し、アーティストとして活動していく決意のようなものが垣間見えます。

そんな『シンシロ』のトリを飾るのがこの「human」で、重なり合う感情やサカナクションとしての活動、延いては人が何かを残すことの意味にまで発展する問いに対し、この上ない程のアンサーソングになっているんですよ!

歌い出しから、そのテーマの壮大さと漠然とした感情が覗けます。

僕らに何が足りないかなんてわからないけれど

何かに そう何かに背中を押される時があるんだ

この”僕ら”っていうのがすごく広い懐を持った”僕ら”ですよね。
山口一郎氏やサカナクションのメンバーはもちろんのこと、聴いてるサカナクションファンや僕、そしてあなた。それらを含めた僕ら。
そしてその僕らは、何が足りないかもわからないけれど、”何か”に背中を押される時がある。
曖昧な表現ではあるんだけど、確固とした信念も感じられる書き方です。

次のフレーズからも彼らが強い決心を持っていることが伝わります。

誰かに そう誰かにこの事を伝えなきゃ駄目なんだ

誰かに伝える事への、執着と言えるまでの強いこだわり。それは彼らがバンドという表現者の立場であるからかもしれません。
だけど、ここはそれ以前にもっと人間の根源的な感情が絡んでいる気がしていて。だって人が何かを表現する事って音楽に限らず誰かに何かを伝える為じゃないですか。本であったり、映画や絵画にゲーム。僕が今こうしてブログを書いているのも、多分誰かに自分の考えたことや思いを知ってほしいからなんですよね。......大人気バンドと並べるのもおこがましすぎるけども。

だから「伝えなきゃ駄目なんだ」というのは人が人である限り抱える願望みたいなもので、功名心や承認欲求といった言葉だけでは語れない、純粋な信念が宿っていると僕は思います。

で、この記事にとって大事な”君”なのですがこの曲には2回登場しています。
一つ目はラスサビ前のBメロ。

心が揺れてたのは君の話最後まで聞いたから

どこかに そうどこかに この事を投げ捨てに行かなきゃな

ここの君はぶっちゃけリスナーを指す君じゃなさそうです。
だって当たり前だけどリスナーの大半は彼らと話したことないだろうし笑。
だとすると誰なのという話になるんですが、僕個人の解釈としては山口氏が見ていた、或いは聞いていた何かを作った人を指しているかなと。
めっちゃふわっとした表現になったけど、具体的に言えばそれこそ音楽とか。バンドなのかユニットなのかわからないけど誰かの作った音楽を聴いて、それに心を揺さぶられた。つまりはその音楽を作った”君”に。
人が人に呼応されて、また人に伝えようとする。
そういうことを歌っているような気がします。

そしてリスナーを指す”君”が最後にくるのですが、これが本当に素晴らしいんですよね。

開いた手の平の中身 君に見せるから

疲れたこの夜の中で 慰め合えたら

......何度聴いてもいいなぁ。
なんていうか、言葉にできない程に大きな、救われる感情があるというか。
日々色々なことに疲れたり、虚無感を抱いたりすることはきっと誰にでもあるのでしょう。でもそういった感情って「皆同じだろ」という言葉で封殺される事が多い気がします。この曲で歌われてることも、言ってしまえば「皆同じ」ということなんだけど、でも前述したニュアンスとは一切が異なっていて。いつも隠されて軽んじられてしまうような感傷を、音楽という媒体を通して共有している。その事自体がどうしようもなく素晴らしいですね。
握っていた感情を、開いて、リスナーである僕たちに見せてくれる。
そしてこの夜の中で同じ気持ちを共有して、慰めてくれる。
音楽って......いいよね。

この曲に「human」と名付けているのもなんとも素敵です。
サカナクションが『シンシロ』を製作中で、山口一郎氏がこの「human」の詞を書いていた2008年のいつかの夜に抱えていた感情と、リスナーである僕たちは今繋がる事ができる。
時や空間を超えて、感情を分かち合える。
それこそがまさに人間の最たる素晴らしさなのでしょう。

押さえた心の裏から背中押す 確かに

 

 

 

という訳で、恋愛弱者の僻みに始まり、リスナーとアーティストの関係性を経由して最終的に人類の文化とその素晴らしさに行き着く意⭐︎味⭐︎不⭐︎明の記事でした。

この記事を書いているうちに、アーティストとリスナーという関係が秘める表現の可能性や純粋さが少しだけ見えてきた気がします。
端的に言ってエモいし尊いね!(台無し)

この記事を通して、僕みたいに根暗な君でも聴ける曲が増えたはず。
......いや本当か?楽曲の素晴らしさは疑う余地もないとして、読者がそれらを知らない前提でいるのは傲慢じゃないか?紹介なんて謳っているのもなんか偉そうだし。
そもそもここ(はてなブログ)の人たちって子育てや趣味(主にアウトドア)で充実してて、幸せな人多そう。
あれ?生きづらいのって僕だけ?

......まぁいいや。
とにかく、この記事が君まで届くことを、僕はここで祈ってるよ。

じゃあおやすみ。
夜更かしは程々にして、ご自愛くださいね。