限りない日々の逃走劇

主にtacicaを褒め讃えるためのブログです

ヨルシカが良すぎて夜しかもう眠れない

はい、3万回くらい言われているでしょうが言わずにはいられませんでした。
皆さんこんばんわ、最近ヨルシカにどハマりした僕です。

いや~ほんとサウンドから歌詞まで超好みで今まで何で聴いてこなかったんだろうってなりました。誰か教えといてよ!

きっかけは極めて些細なので詳しく書きませんが、youtubeでとある(顔でギターを弾かれる方の)ヨルシカのイントロギターを弾いた動画を見て何とはなしに何曲か聴いたのが入り口でした。
そしたらまぁいいこといいこと!
ボーカルsuisさんの声の良さは言わずもがな、想像の10倍くらいはギターが前に出てきてめちゃカッコいいし、歌詞はとてもメジャーなアーティストには思えないほどに暗い。
全部の要素が好みのど真ん中って感じで一気に好きになりました。

 

それまでのヨルシカの知識といえばYOASOBI、ずとまよとひとまとめにされて、「違いが分からない」と言われてるイメージくらいしかなく(クソ失礼)、CMでよく聴く「春泥棒」がヨルシカの曲ということすら知りませんでした。
(てか、ちゃんと聴いてみたらどのグループも毛色違うから一緒くたにするのあんまり良くない気がする)
だから最初に「思想犯」を聴いた時は衝撃でしたね。


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まずイントロが最高ですね!
純粋にカッコいいのに、どこか抒情的な風味があるギターリフで惹かれます。
続く歌い出しの

他人に優しいあんたに

この心がわかるものか

人を呪うのが心地良い、

だから詩を書いていた

このフレーズで一気に持っていかれます。
音楽を全然聴かなかった頃の僕でも知っているレベルでメジャーなのに、ここまで尖った、暗い詞を歌う人らだとは......。
完全に聴く耳を持ったところで、続く一節で完全にノックアウトされました。

朝の報道ニュースに

いつか載ることが夢だった

その為に包丁を研いでる

いや凄いよねこのフレーズ。
めちゃくちゃ不穏だし、この人は絶対精神的にヤバい人間だってことが伝わる。
......んだけど見方を変えると、”包丁を研いでる”はいつか有名になる為に己の能力を磨いていることの暗喩とも捉えられる。
このダブルミーニングと視点人物の心理がうっすら読み取れる表現の匙加減が絶妙で、本当に巧いです。
”文学的な歌詞”という言葉にピンとくることがあんまりないのですが、ヨルシカの詞は凝った表現が多くて、文学的に感じますね(実際この曲は俳人尾崎放哉のオマージュを多分に含んでいて、それ自体がアルバムのテーマになっているらしい)。
まぁ同曲内で

こんな中身のない詩を書いてる

なんて吐露してはいますが笑。

そんでもって情景描写がどれも美しくてですね。茜色に染まる鮮やかな夕景がありありと浮かびます。夕焼けが綺麗なのって本当万人に共通するレベルの感覚ですよね。
それと同じように、Bメロのものを壊す描写にもどこか美しさを見いだせてしまうのが何より恐ろしい点。
硝子を割り、ギターも折って、いつも誰かを殴りたいと願っている。
世間一般から外れた何かを破壊したいという危険な思想を抱えている主人公に、気づけば飲み込まれてしまう。そんな狂気を孕んだ魅力が存在している気がしてならないです。そのような危うい思想で聴き手を飲み込もうとする事自体が、まさしく「思想犯」なのでしょうね。

ちなみにこの”思想犯”という言葉はかのディストピア小説の金字塔『1984』のオマージュ、(アルバムのテーマに沿って言えば”盗用”)なんですよね。『1984』における思想犯の定義は国家体制に反する思想を持つ人間を取り締まる為の罪、でしたがこちらは倫理的に誤っている考えを詩によって広めようとする主人公を指しているように感じられます。
面白いのは『1984』の世界と違って、それを咎める事が誰にもできないところですね。表現の自由を担保されている現代社会において、倫理的に正しくない価値観さえ拡散することは許されている。だから思想”犯”とは付いているものの、法律では裁けないし、誰もその行為を妨げることはできない(BPOとかもあるけど)。犯罪とそうでない行為のボーダーの曖昧さをリスナーに投げかけるという構図が出来上がっていて、なんとも興味深いです。『1984』から引用するというのも、エッジが効いていていいですよね。個人的にあの作品は陰鬱すぎて好みじゃないですが。

根深いテーマがある一方、創作者である主人公の等身大の感情も吐露されていて心を打たれます。

他人に優しいあんたに この孤独がわかるものか

死にたくないが生きられない、だから詩を書いている

こことか分かりすぎるし、ボーカルsuisさんの歌声に感情が込められているのも相まって、胸を締め付けられるような思いになります。
また、物語としてのオチが余りにも綺麗で溜め息が出てしまいますね。

烏の歌に茜

この孤独よ今詩に変われ

さよなら、君に茜

僕は今、夜を待つ

また明日。口が滑る

物が壊れること、つまり何かの終わりに美を見出す主人公が最後の最後で「また明日」と口を滑らせて、続きを求めてしまう。う~~~ん、良い......。
とにかく作品としての完成度が高くて、この曲を聴いた時点で(これはハマるわ)と確信しました。

 

 

で、次に聴いたのが「だから僕は音楽を辞めた」なのですが、これまた衝撃的で。


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劣等感まみれで攻撃的な詞に、表現者としての強烈な苦悩が刺すように伝わってきます。

後になって色々調べたのですが、この曲が収録されているのは同名のアルバム『だから僕は音楽を辞めた』で。非常にアルバムとして凝った作りになっているみたいです。

 

 

今作は、コンポーザーのn-bunaが描く物語をテーマにしたコンセプトアルバムとなっており、音楽を辞めることになった青年が”エルマ”へ向けて作った楽曲、全14曲を収録した内容となっております。

初回生産限定盤には、青年がエルマへ向けて書き溜めた手紙や歌詞、訪れた街の写真などを納めた木箱を再現したボックスが付属しており、音楽を辞めるに至った青年の物語をリスナーが楽曲とともに体験できる仕様となっております。

概要欄より引用

これ凄くないですか?
完全にアルバムの中で物語が構築されていて、アルバム自体がその物語における一つのアイテムになっている。しかも物語におけるキーアイテムが実体を持った特典として、手に入る。音楽の垣根を超えているし、作品という枠組みも超えて現実らしく感じられますよね。攻めていて面白い趣向、嫌いじゃないわ!
......まぁお金がなくて買えてないんですけどね(いつか絶対買いたい)。

そんなわけでこの曲はタイトル通り、青年”エイミー”が音楽を辞めた理由を吐露した曲なんですね。そして詞の中に出てくる”君”と”あんた”は、エイミーにとって大きな存在感を持つ”エルマ”を指していると推察できます。
個人的な好みなのですが、歌詞に出てくる”君”にあんまり馴染めなくて。単純に僕が恋愛、及びそれに近しい間柄に縁遠い人間である事が悪いのですが、ラブソングとか聴いてると「ふーん...(無関心)」ってなりがちなんですよね笑。
『だから僕は音楽を辞めた』に収録されている楽曲も、エイミーがエルマに向けたラブソングという側面を持っています。しかしながら驚くほどに受け入れられるんですよね。それは多分登場人物のバックグラウンドがハッキリしていて、主観でなく俯瞰で眺められるからなのかなと。シンパシーとエンパシーの違いと言いましょうか?ま、とにかく、恋愛弱者な人間でも入り込むことができるこの作りは、発明と言っても過言じゃないなと(勝手に)感銘を受けました。

話を曲に戻しましょう。
エイミー君は売れない音楽家で、その引退表明とも受け取れるこの曲では至る所で音楽や世間への恨み辛みが描かれています。
これがまた一々共感できてしまうんですよねぇ。

将来何してるだろうって

大人になったらわかったよ

何もしてないさ

やめてくれ(真顔)

いやほんと心がゴリゴリ削られる。僕何してるんだろうなって考えざるを得なくて辛いっス。
おとなになるってかなしいことなの……。

2番サビでは世間一般で流行る音楽への拒否感みたいな思いが歌われていて、共感度MAXです。

愛も救いも優しさも

根拠がないなんて気味が悪いよ

ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ

どうでもいいか あんたのせいだ

......(赤べこのように首を縦に振り続ける)。
分かりすぎますね、この気持ち。愛や平和の尊さを謳って、「がんばれ!」みたいなこと言われても(どこに根拠があるんだよ...)と猜疑心を持ってしまうんですよ僕はァ!!!
こっちの歪んだ人格を引き出されるようで何とも言えません。

ラスサビへ向けたパートでは、彼のアーティストとしての苦悩が色濃く反映されています。これがまた生々しい。

考えたってわからないし

生きてるだけでも苦しいし

音楽とか儲からないし

歌詞とか適当でもいいよ

どうでもいいんだ

真に迫る言葉ですよね。
僕は創作活動をしたことがないので、売れないアーティストの辛さみたいなものは想像することしかできませんが、それでも鬱屈とした感情の一端を垣間見れます。
”歌詞とか適当でもいいよ”の投げやりさが凄いですよね。
これは完全に余談なんだけど、ネクライトーキーというバンドの「めっちゃかわいいうた」って曲に、似たようなフレーズが出てくるのですが温度差がありすぎて笑ってしまいます。「もうて、て、て、適当でいいや」じゃねぇんだよ石風呂!
同じような言葉でも、これだけニュアンスに差が出るから面白いですよね。

続く箇所は、suisさんの歌い方に引き込まれます。

虚勢を張って言い放つような「間違ってないだろ」。
自分自身に言い聞かせるような「間違ってないよな」。
弱気になって消え入りそうな声の「間違ってないよな......」。

演技っぽさが全くなく、本当にエイミーという人物が思いを吐き出していると錯覚させる没入感があります。
本当、天才としか言いようがありませんね。

そしてつんざくようなピアノが繰り返し鳴り響き、曲、アルバム、そしてエイミーの物語の全てが

だから僕は音楽を辞めた

の一言に完結される様はまさに芸術。
エイミーという存在そのものが心に大きな傷を残すような、凄まじい一曲でした。

ちなみに、『だから僕は音楽を辞めた』の続きとして、エルマの視点から描かれた『エルマ』というアルバムもリリースされていて、そちらも良かったです。

 

 

「八月、某、月灯り」⇔「夕凪、某、花惑い」

「詩書きとコーヒー」⇔「雨とカプチーノ

みたいな感じで、『だから僕は音楽を辞めた』と曲名が対応していたり、歌詞もリンクしていたりと、作りこみが半端じゃない。
アルバム単位で聴かれなくなったと言われて久しい中、これほどまでアルバムを作品として作りこんでくれるのは、時代に逆行する人間にとって有難い事この上ないですね。

 

 

そんな感じで大体の曲数を聴いたのですが、最近のお気に入りは「風を食む」です。


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話題に出した上の2曲とはまた違った空気感で、音作りも歌い方もやさしい。
アコースティックギターの安らぐ音色と、楽し気な鼻歌、心地の良い環境音。
飾り気のない自然な音楽に、心癒されます。

そしてまた歌詞が素晴らしいんですよ。
生産と消費を慌ただしく繰り返す現代社会。何を買っても満たされない空虚な思いが、まず歌われます。

僕らは今日も買ってる

足りないものしかなくて

この感覚に覚えがある人は多いんじゃないかな。物で満ちているからこそ、ずっと何かが足りないような。そんな感じ。
2番では売る方の話になるのですが、これも深く共感できる。

明日もきっと天気で

此処にも客が並んで

二割引の心は誰かが買うんだろうか

売っているのが”心”なのが肝ですよね。
作品の背景を考えるとここは”心を音楽に込めて売っている”という解釈が妥当かとは思うのですが、その意味だけでもないと思っていて。
SNSで発言が容易になった今の時代、不特定多数の人が思い思いのことをネット上で話しているじゃないですか。それで面白い発想には多くの再生数や高評価が集まる。
大きな反応を得られた投稿は”バズ”、耳目を集められる人は”インフルエンサー”と呼ばれ、持て囃される。数値によって影響力が表されるその様は、まさに値段をつけられているみたいですね。

一方で、その裏に誰の目にも止まらないような商品が多々ある訳ですよ。
そう、貴方がご覧の当零細ブログのように笑。
だから”僕の心を誰かが買うんだろうか?”というこの憂いには、心底同調してしまうんです。

そんな憂慮から、ふと解き放たれるサビがとても美しい。

草流れ 天飛ぶや

軽く花の散るを眺む

今、風を食む

いやー、綺麗な言葉。
古文とか全くの門外漢だし、意味も正しく受け取れているか分からないけど、それでも日本語詩って美しいなとしみじみ思ってしまいます。
ちなみにこの”天飛ぶや”は枕詞で、柿本人麻呂が詠んだ妻の死を想う詩に使われています。そしてこの曲は妻を亡くした泥棒の心情を表しているらしいです。表現の美しさだけでなく、引用に意味を持たせているのがまた細かいなー。そういうところも好き(唐突な告白)。

そして何より好きなのがラスサビ前のここ。
前段で語られた現代人の抱える孤独に、そっと柔らかな光が灯るようで......、とにかく良いんです。

貴方だけ 貴方だけ

この希望をわからないんだ

売れ残りの心でいい

僕にとっては美しい

ハッとさせられますよね。
あらゆる物事に数字が付いて、価値が否応なしに可視化されてしまう。
それでも、誰にも価値を見出されなかったとしても、自分にとって美しいと思えるならそれでいい。
当たり前のことではあるんだけど、その価値を見失いがちな現代だからこそ響きます。

私事ではありますが、ブログをやっていますと矢張り数字を気にしてしまうもので。一日に何回もアクセス解析を見て(今日はちょっと多かったな)とか一喜一憂してる訳ですよ。だからこの曲には救われる思いでしたね。
もちろん、僕の記事が誰かに読まれるならとても嬉しい。でも、例え誰にも読まれないとしても、自分にとって価値があると感じたらそれでいいんですよね。
探していた答えを貰えたようで、ヨルシカを聴き始めて良かったなと噛みしめております。

触れてませんでしたが、MVもいいですよね。
部屋っぽいところで女性がゆっくりとした時を過ごす。
だけどその背後ではずっと砂時計が零れ落ち続けている。
これ、シンプルだけどめちゃくちゃゾッとする演出だと思います。だって時間はずっと失われてく一方なんですよ?哀しすぎるじゃないですか。

こういう、僕らの命は有限でいつか必ず終わりがくることを暗喩によって表現する演出は、個人的にどんなホラー作品よりも怖いなと思います。
他だとサカナクションの「スローモーション」のMVとか。カレンダーをめくって、めくって、さらに掴もうとするも空を切って何処かに落ちていくシーンは毎回「ヒッ...!」って声が出ます。
曲の中に出てくる”買う”という行為も、実は時間の消費を意味しているのかもしれません(俯きざまにスマホをいじっているイメージかな)。

積もっていく砂に気付いて、背を向ける女性。
だけど最後には吹っ切れたように、軽やかに踊り出す。
その様が何とも美しくて......、いいですよね(致命的な語彙不足)。
砂と戯れる彼女の様には、やはりどこか救いを感じられます。
生きている限り必ず来る終わりに、目を背けないで向き合う選択をとったからこそ救いがあるように見えるのかなと、ぼんやり思いました。

そういった、死や時間みたいな概念的な存在を感じる事こそが、”風を食む”の意味するところなのかもしれません。

冬籠り 春が咲き

貴方の歌だけが聞こえる

今、口遊む

貴方だけ

 

 

ということで、最近ハマったヨルシカについて場当たり的に語ってみました。
いや~、名前に”しか”が付くバンドにハズレはない(サンプル数2つのみ)。
(僕が言わなくてもみんな知ってるだろうけど)本当にいい曲ばっかりなので、逆にアルバムを聴くのが惜しかったですね。
ちなみに一番好きなアルバムは断トツで『盗作』です。「盗作」「思想犯」「逃亡」の流れが余りにも強い。「レプリカント」も大好き。

今はもう『創作』までの曲は全部聴いてしまっていて、新潮社とコラボした作品を読み進めながら一曲一曲大事に聴いております。ビスケットを一枚一枚噛みしめる遭難者のように(謎の喩え)。

コラボした6冊 with 変顔ピカチュウ

せっかくここまでハマってるんだし、コラボした楽曲については個々で感想をオリジナルの小説と合わせて記事にしていこうかなと考えています。
......『地の糧』は難解そうで読破できる気しませんが。

よろしかったらそちらの記事でもお会いしましょう。
では、また明日。