限りない日々の逃走劇

主にtacicaを褒め讃えるためのブログです

tacica 『singularity』全曲感想【後編】

tacicaの8枚目にして、自主レーベル初のオリジナルフルアルバム『singularity』の全曲感想(後編)になります。

前編の記事はこちら

ahobird.hatenablog.com

 

前編を書いてから、かれこれ4カ月ほど放置しておりました。
いや~、私生活が忙しくてねぇ。
......嘘です。ばりばりダンガンロンパとかやってました。
趣味でやっていると、いくらでもサボれちゃいますね。

まぁとはいえこれだけ期間が空いたので、後編の記事はそれはそれはボリューミーになっています。
それ故に誰も最後まで読んでくれない気がしますが、気にせず今日も電子の海に駄文を不法投棄していきましょう!
果たして最後まで読める人はいるのかな?うぷぷぷぷ(CV:大山のぶ代

 

"sing" ularity

後半の曲の感想に入る前に、まず『singularity』の隠されたもう一つのテーマについて触れておきましょう。
まず表のテーマはタイトルの通り”特異点”です。
プライベートレーベルを立ち上げたtacica自体の変化と、コロナにより変わってしまった社会の変化、その両者の変化がアルバムに大きく反映されています。

しかし、『singularity』にはもう一つのテーマが隠されている......と思うよ。
それは”sing”、つまり”歌”です。

この"歌"に注視してみると、アルバムの曲達に面白い共通点が浮かびます。
前編で紹介した1~6曲目の中には"歌"という言葉は一切入っていませんでした。
しかし、これから感想を書く後半6曲のうち、「GLOW」を除く5曲の詞に”歌”が使われています。
ある一点、このアルバムにおいては「デッドエンド」を境に変化が起こる趣向は、まさに特異点でしょう。
......「GLOW」に入っていないのが何とも信憑性に欠けますが。

実はタイトルをよく見てみると”sing”と”ularity”の間に若干空きがあるんですよね。
グッズの手拭いの字が一番分かりやすいかな。

デザインが良くて気に入ってます!

本当に若干ですが、gとuの間が他の文字間に比べて大きいように見えますね。

最後の曲名が「人間賛歌」なのもかなり印象的です。

これらのことから、『singularity』のもう一つのテーマが”歌”である可能性を理解していただけると思います。

じゃあ、このアルバムにおける”歌”はどんな存在なのか?
その謎は、1曲ずつ感想を挙げながら紐解いていきましょう。

では、全曲感想後編スタートです!

 

7.デッドエンド


www.youtube.com

争い事や急なお別れに

哀しくはなれども

まだ現実に僕達は抗えない

今の世の中にこれほどまで刺さる言葉があるだろうか?
いや、ない(反語)。

世界的なパンデミックに戦争、信じがたいニュースが飛び交う中でも、僕達はまだ現実を生きていかなきゃいけないんですよ!
いやー......刺さりますね。

人間らしく生きる事

人間らしく生きぬ事

その両方あって それこそ

生きる事らしい

ここは最早、禅問答の域ですね。
「Dignity」での”僕がもし人間だったら”という問いの答えがこの歌詞なのだと思います。
時に人間らしく生きられなくても、それも生きる事の一部なのだろう。
非常にtacicaらしい肯定の仕方で、自然に受け入れられます。
飽くまで”らしい”としか言ってない不確かなところも、奇麗ごとを言わないtacicaの真摯さが見えて好きです。

「デッドエンド」は、「Dignity」だけでなく他の曲、延いてはアルバム自体のアンサーソングとも捉えられる一曲です。
例えば”ある天才”は「space folk」の”ある人”と同じに見れます。
成功者が残した言葉通りの素晴らしい生き方が全てじゃなくて、地を這うような見窄らしい生き様も含めてそれこそ素晴らしいだろうという答え。

最低で最高な最愛のメモリー

一人に一つだけの幻

ここは「冒険衝動」の

消える思い出に替わって

消せない思い出は幾つあるんだか

に対する答えだと解釈できます。

そして

キミはデッドエンドでこそ光る

嵐の中で花が咲く

眠れぬ夜に鼻歌を高らかに響かせ

ここが最高of最高すぎる!!!
デッドエンド(行き止まり)なんてネガティブな曲名を、こんな前向きな形で回収されたら、たまったもんじゃないですよ。
「BROWN」で出てきた”嵐”がここでも使われているのがまたいいですよねぇ。
かつてない困難に見舞われる中で、確かに花が咲くんですよ!!!

いつになく真っすぐな歌詞ですが、演奏もめちゃくちゃストレートですね。
シンプルなエイトビートとコード進行!そして盛り上がるサビ!
どこをとっても好きだなぁ。

いつものように2番の歌詞も最高です。

立ち向かう時 使う勇気を

立ち止まる時に使うのも良いさ

......優しい。
立ち止まってもいいんだって言ってくれる優しさよ。
”使うのも良いさ”っていう言い方まで優しくて沁みますね。

そしてサビの

きっと涙が落ちるのは

スポットライトの下じゃなく

見つけ難い場所だったり

或いは飲み込んでしまうから

も超いいフレーズですねぇ。
ここは「Dignity」や「冒険衝動」で吐露していた”思い通りの涙を流せない悩み”の答えになっています。
泣きたいときに泣けないって割とある悩みだと思うんですけど、こんなに説得力のある回答は中々ないんじゃないかな。
僕たちは知らず知らずのうちに、涙を飲み込んでしまっているんでしょうね。

正しさの無常さを

痛いくらい分かってるよ

ほんと共感しかない。
ここ数年程、正しさというものの不確かさを思い知ったことはないですから。
反マスクや反ワクチンの人らも、トイレットペーパーがなくなるというデマを流した人も、それを広めた人や買いに走った人(かくいう僕もです)も、きっと己の正しさを信じて行動したんですよ。
それぞれの正しさが入り乱れるから、本当に無常ですよね......。
痛いくらい分かります。

例の如くCメロも刺さります。

確かさに 不確かさに

自分らしさを 貰ったり

この箇所はここ最近のtacicaの在り方について語ってる気がします。
今まで培ったtacicaらしさから離れた、不(或いは非)tacicaらしさに踏み出してこそ、変化し続けるtacicaの在り方なのだと。
ちょっと話が変わるかもですけど、最近読んだ『ネクスト・ギグ』という小説の中で似たようなロック観が語られていて、頷けました(ロックミステリの傑作なので興味があったら是非読んでみてください!)。
勿論、”確かなものと”不確かなもの”の両方から自分らしさを貰える、というメッセージともとれますね。

僕等 大人になればなるほど

上手く歩けなかったり

するものさ

......あぁ。
もう本当に、泣けてきますねここは。
どうしてこれ程までに刺さる歌詞を考え付くんだ、猪狩翔一よ......!

tacicaは、己の弱いところや嫌いなところを隠さないで歌い、その上で自身を受け入れるんですよねぇ。
きっとその精神はtacicaというバンドが続く限り失われないものだと、確信しています。

デッドエンドにいる現実を、明るいメロディに乗せて前向きに歌い上げる。
困難な時代を生きる私たち、全ての人間に向けられたアンセムと言うべき、tacicaの新たな名曲です。

それにしてもtacicaも丸くなったなー。

 

8. アロン


www.youtube.com

理想と現実とは非なるものと

心得よ

とか言ってたらこれだよ。

いやマジなんなの?さっきあれだけ前向きなこと言ってたじゃん!
行き止まり最高!とか松岡〇造みたいなこと言ってたじゃん!

ていうかそもそもこの曲自体が色々おかしい。
イントロがめっちゃ変な音(ブリッジで遊んでた時の音らしい)だし、暗い曲かと思ったらサビで転調してすごく明るくなるし、間奏でBPM変わったり拍子が抜けてたり3拍子(?)や5拍子になるし、なんなのもう!尖りまくりじゃん!

一番おかしいのはこんだけ好き勝手やってるのに最高にカッコいいところですよ!
リズム隊、特にベースがべらぼうにかっこいいですね。

歌詞に目を向けると、この曲にも”歌”が入ってます。

毎日 踊り歌い汗を流す

愛なき世界で愛し愛されたい

”踊る”という言葉もこの後頻繁に出てくるキーワードですね。
それにしても”愛し愛されたい”とは随分と直接的な表現だなぁ。

で、AメロBメロの切迫した空気感がサビで吹っ切れたように明るくなるんですが、なんか怖くないですか?
躁鬱的なテンションの変化というか。
まさに夜から急に朝になったような不安定感。

この曲、孤独を擬人化した”アロン”という人物に語り掛けられているという設定で書かれたらしいです。不安定感は”アロン”に心を揺さぶられているっていう演出かなぁ?

鳥になって未来へ

星になって飛来したい

アロン

灰になって いつか

きっと讃えあいたい

ここ最初”飛来したいアロン”が”飛来したいやろ”に聞こえてビビりました笑。
(え、tacicaが関西弁!?)みたいな。

”鳥になって~”は「キャスパー」からのセルフ引用ですね。
「キャスパー」では死の暗喩っぽい使われ方だったけどこっちはどうでしょう?

そして盛り上がるサビを抜けると待ち構えているのがBPM低下&拍子欠け(?)ゾーンです。
ほんとすげー構成だなぁ。音楽理論全く知らないので、詳しい人の解説を聞いてみたいですね。教えてえ〇い人

カオスな間奏を抜けてAメロに帰ってくるのですが、歌詞が自虐的過ぎてひどいことになっています。

期待しがいのない日常の隅で

努力しようとするのは悪か?

自問自答を張り切ってどうぞ

なんでそんなこと言うの😡💢
いや本当自虐的過ぎるでしょ!下手なアンチより辛辣なこと言ってますよこれ。
たまに強烈な毒を自分自身にぶっ刺しますよね、猪狩さん。そういうところも好き!(末期)

2サビの方では前作『panta rhei』の「中央線」に近いフレーズが使われています。

仮にずっと延長線上

保証はないでしょう?

少し話が逸れるんですが、「中央線」のラスサビは今聴くとコロナ禍の予言みたいになってて驚きます。

時に泣き笑い 息は吸って吐く

その全部が正しいからって

絶対 今日の延長線で

また歌える保証もない

曲名から考えるに急死の事を歌ってるとは思うのですが、コロナの蔓延で急にライブができなくなったあの頃の心境に大きく重なると思うんですよね。
ある日を境に、日常が奪われてしまう事を憂いた歌が現実になってしまった。まさに、ずっと延長線上で歌える保証はなかった訳です。

そんな背景があったからこそ、「中央線」のフレーズを再び持ってきたのかなと感じています。

続く言葉も痛烈です。

目眩く壮大な今日の

使えない魔法

完全に個人的な解釈になるんですが、この”使えない魔法”は「デッドエンド」のような前向きな曲に対する皮肉のように聴こえるんですよね......。
いくら曲の中で素晴らしいことを歌ったって、今ある現実は変わらなくて、ただただ壮大な今日に目が眩むだけ。

「音楽は魔法だ」なんて言葉があるけど、”使えない魔法”じゃないか。
そんな、音楽の限界に対する自己批判のような気がしてなりません。

とまぁ、色々暗くて痛みのある曲なのですが、それ故にtacicaらしさが出ていて個人的にはかなり好きな曲です。

何よりハイパーかっこいいですからね!
終わり方のぶつ切り感も最高っす。
今後もこんな尖った曲聴きてえなぁ。

 

9. GLOW 


www.youtube.com

本作で、一二を争う程暗い曲です。
ミステリアスでアンニュイな雰囲気。だけど底の方に美しさがある。

ギターは曲の装飾だなんてよく言われますが、この「GLOW」はそれを体現するかのような使われ方になっている気がします。勿論良い意味で。
暗く重い川の流れに、ふと光が反射するような自然な美しさと言いますか...。
この曲を聴いてると何となく残酷な絵画を鑑賞しているような感覚になるんですよね。
暗いけど、美しい世界観。

......まぁ、美術館とか学校の行事くらいでしか行ったことないですが。

歌詞は短い故、洗練されています。

息している限りはさ

諸行無常に抱かれて

笑ったり 怒ったりしよう

真理。
諸行無常っていうワードがまた、ここ数年の情勢に当て嵌まりすぎますね。
この曲のアイコンは鐘なので、おそらく諸行無常は『平家物語』からの引用だと思います。
......歴史に疎いんで特に言及できる事はありませんが(何なら知ってるんだ?)。

”息”という言葉は「stars」にも出てきていて、この後もちょくちょく使われます。
これは文字通り、生物がする呼吸の意味と捉えられます。だけど、個人的にはもう一つの意味が含まれていると思っているんですよね。
それは”バンドとしての息”です。

バンドは存続している限り、音楽活動をしなくてはいけません(例外もありそうだけど)。
例えば新曲を出す、ライブを行う、etc。
それらはバンドがバンドであるために必要不可欠な事です。
バンドを一つの生き物として捉えたならば、音楽活動は”息をする事”にあたるのではないでしょうか?

だから、このアルバムの曲における”息”は、生命にとって欠かせない行為であると同時に、バンドにとって欠かせない音楽活動のことだと解釈できます。
思えば音楽業界は流行り廃りが目まぐるしくて、まさに諸行無常ですものね。

 

Bメロからの流れが「アロン」に続きクリティカルです。

偽りのお呪いで構わないから

一切合切を忘れさせて

ここで一旦ドラムが抜けて弾き語りっぽくなるのいいですよね。
”偽りのお呪い”は「アロン」で出てきた”使えない魔法”とニアリーイコールだと思っています。お呪いと魔法は似たようなものですし。

どちらも批判的なニュアンスを含んでいますが、こっちは「それでも構わない」と言っているのが大きな違いです。
音楽は所詮”偽りのお呪い”でしかないけど、それでもいいから全てを忘れさせてくれ。
暗いんだか明るいんだか分かりませんね笑。

続くCメロ(?)がまぁ最高なんです!

絶えず川が流れるみたいに

生き永らえたらまだ増しだった

立ち止まりたいけど立ち止まれない日々を

さぁ 生きている

いや~~この仄暗さこそtacicaの真髄ですよ。
生きていくことの無常さを包み隠さず歌うこの感じ。好きだなぁ。

後半は明らかに「デッドエンド」と絡めてますよね。
「デッドエンド」では”立ち向かう時使う勇気を 立ち止まる時に使うのも良いさ”と、立ち止まってもいいじゃんというスタンスでした。
でも、「GLOW」では結局、”立ち止まりたいけど立ち止まれない”って歌っているんですよ...。

勿論、一時立ち止まることはできるでしょう。
だけど生きている限りは再び歩き出さなくてはいけないから、大枠で考えれば結局立ち止まれない。
そう、お正月休みで羽目を外そうとも、仕事始めには出社しないといけない社会人みたいに(嫌な喩え)。

ここら辺は彼らのバンドとしての矜持でもある気がします。
コロナが流行して音楽活動を制限される中でも、初の配信ライブやファンクラブ設立など、tacicaは動き続けてましたからね。
立ち止まりたい本音がある中で、立ち止まらずに活動を続けてくれた彼らに心から感謝しています。

 

間奏がこれまたいいんですよ。
歪んだギターの音がどこか神秘的で、ベースの音が心地いい。

間奏に限った話じゃないんですが、この曲は世界観が完成されてますよね。
間の使い方も相まって、とても3分半とは思えない満足感があります。

そしてラストにサビが1回だけ歌われる訳なのですが、こういうサビが最後だけのタイプの曲好きなんですよねぇ。
tacicaの中だと「モナルカ」とか「galapagos」。
他のバンドだとアジカンの「十二進法の夕景」やサカナクションの「ミュージック」あたりですか(引き出しこの3バンドしかないマン)。
こう......、ラストにガッ!と盛り上がる感じが堪らないんです。

でも「GLOW」はそういったボルテージの急上昇はしてなくて、あくまで緩やかに山が訪れるようなサビになっています。
その静かな盛り上がり方に強い信念が籠っているような気がして、個人的には大好きなサビです。

歌詞の方も、打ちのめされて尚進むtacicaのことを歌っているようで、暗いんだけどそれに終わらない良さがあります。

軌跡を忘れよう 開拓者の為

このフレーズかっこよすぎません?
「新たな道を拓くために、今までの軌跡は忘れよう」って言ってるんですよ?
ストイックすぎるだろ。

ちょっと曲から離れる話になるのですが、この『singularity』はtacicaプライベートレーベルから初めてリリースされたアルバムです。故にtacicaがインディーズに立ち返るアルバムとも言えます。
実は”インディーズ”という言葉はindependentを略した和製英語で、本来英語のindiesはインド諸島を意味しています。
そしてそのインド諸島と言えば、コロンブスが発見した島をインドと勘違いしたからインド諸島と名付けられたという有名なエピソードがあります。
コロンブスは航海の末、新大陸を見つけた開拓者です。語源こそ違いますが”インディーズ”は開拓者の象徴と呼べるでしょう。

一連の考察を踏まえると上の詞は
(メジャーレーベルでの)軌跡を忘れよう
(これから歩む)開拓者(インディーズ)の為

と捉えられると思います。
......いささか無理ある気がしますが。

曲調も詞もアルバム内で1番と言える程に暗いのですが、それ故tacicaの音楽にかける強い思いが感じられてとても好きな曲です。

10. ダンス


www.youtube.com

ほぼほぼ弾き語りのままなのがこの「ダンス」。
殆どアコギのみというシンプルさ故に、猪狩さんの声の良さがしみじみと伝わりますね。聴いていて落ち着きます。

サビでコーラスとして参加しているのはなんと、チャットモンチーのボーカルであり、猪狩さんの奥さんである橋本絵莉子さん!
(おそらく)夫婦初共演です。
僕は邦ロックにわかなんであんまり聴いたことなかったのですが、超いい声ですね(クッッッソ今更)。
可愛らしいんだけど、澄んでいて美しくもある。ファンが結婚を知ってショックを受けるのも納得です。

で、歌詞の方なんですが、抽象度がかなり高くて理解するのが難しいです。
いきなり”灯台の灯りを消したのは”なんて比喩的な言葉で始まるから中々解読しづらい。
tacica歌詞考察難易度ランクがあるならAクラスは堅いでしょう。

なので何となくになるけど、やっぱり”生きていくこと”と”音楽を続けること”に帰結するんじゃないかと思います。
昨日までの友達が灯台の灯り、つまりは道しるべを消してしまったのかもしれない。
でも、ララバイのような安らかで素晴らしい音楽を、嘘つきや卑怯者でも歌えるのなら、灯台の灯りを消してしまったあの友達とだって、まだ友達のままでいれるのかもしれない。
でもそうやって割り切れるのなら、何の為に奪い合い、愛し合うのか?
そんな生きていく意味を問いかける詞......なんじゃないかな。

その問いかけに対するアンサーがサビのフレーズなんだと思います。

月と太陽と僕のダンス

人間みたいなダンス

ここ、”人間みたいなダンス”っていう言い回しが印象的ですよね。
「Dignity」や「デッドエンド」で歌われたように、自分は人間なのか?という問いが根底にあると思うし、それをダンスっていう楽しげなものとして捉えているところに救いが感じられます。

また

息が止まるまで

歌い 舞い踊るのさ

ここが『singularity』のテーマとして非常に重要だと思います。
やっぱり”歌”が使われているし、「GLOW」でも言った通りに”息”を解釈すれば”息が止まるまで”は”バンド活動が終わるまで”と言い換えられます。
死ぬ、或いはバンドが終わるまで、思いを言葉に変え喉から発し何かを表現することは変わらないし、僕らはそれをするだけなんだ。
そんなメッセージが込められているように聴こえました。

そして最後のフレーズこそが、先ほどの問いの答えでしょう。

曖昧な事など気にしないでおこう

終わるまで夢中になれたら

「気にしないでおこう」ってことですね笑。
答えになっていないような気はします。でもさっきの問いって答えを出しようがないですもんね。
何の為に奪い合うのか?誰の為に愛し合うのか?
生きる事の意味は?歌う事の意味は?
そんな曖昧な事など気にしないでおいていいじゃないか。
終わるまで夢中になれたら。

これは「アロン」「GLOW」で述べた、音楽は所詮使えない魔法、偽りのお呪いだという自己批判の出口でもあると思います。
夢中になれたのなら、使えないとか偽りとか気にしないで大丈夫でしょ。

投げやりと言えば投げやりなんだけど、やさしくて救いのある言葉で、何というか、ほっとしますね。
聴く人が安らぎ癒されるような、素敵な曲でした。

 

余談ですが、ラスサビ後半に入っているハーモニカ、実は猪狩さんのお子さんが演奏したものらしいです(音楽と人 2022年 08 月号 【表紙:Perfume】 [雑誌]を参照)。
だからこの曲は夫婦共演どころか一家共演だったんですねー。
ある意味コロナ後のパーソナルな感じが反映されているのかもしれません。

 

11. ねじろ

www.youtube.com

ここで「ねじろ」なんですよ......!
アルバムに置くならここしかないというか、既発曲のはずなのに寧ろこの「singularity」の11曲目に位置するために作られた曲のように感じてしまいます。

神秘的なディレイギター、うねるようなベース。
壮大な空気感のイントロの後に発せられる

どうやら息するにも金がいるみたい

という一言にどきりとさせられます。
だってあまりに現実的すぎる。”金”なんて今までtacicaが歌ってきた世界観に全然そぐわないですもの。

しかしながら、彼らを取り巻く状況の変化を踏まえると納得しかない表現なんですよね。
ソニーを離れ、プライベートレーベルを立ち上げた。
「冒険衝動」で語ったような挑戦心がある一方で、おそらく、どうしても使える資金自体は少なくなってしまうのでしょう。
それこそ、バンドにとっての息である音楽活動をすることさえ、今までより難しくなってしまう。

そんな現実を味わった、偽らざる本音なのだと思います。

後に続く詞も、内心の吐露に聞こえます。
何をするにも理由がいるし、花が咲くには水がいるし、群れを逸れたら地図がいる。
マジ人の世は住みにくいな!!

一方で、続きには”金がなくてもどうにかなるみたい”って歌っているのも印象的です。
お金なしで生きていくことも、現実としてできないわけではないでしょうね。
お金なしで暮らしている人もいるだろうし、そもそも最初は貨幣なんて概念もなかったし。

でも、実際に「明日からお金なしで生きてください」なんて言われたら無理ですよね。僕は2日も持たないと思います。
だから、できないわけじゃないけど、知恵がいるし希望がいるし勇気がいる。
ファンクラブ「鹿の子」を立ち上げたのも、資金を調達するための知恵の一つだったんだろうなぁ。

 

この曲は今までのtacicaに比べて、現実の社会を反映しているような気がしていて、先ほどのお金についてもそうですし、2番Aメロもかなり大枠で現代の社会を捉えた詞になっています。

悪くない誰も

悪くはない誰も

悪気ない誰も

うーーーん、そうだよな......。
例えばニュースで誰かの悪事が明らかになったとして、それが元となってSNSが炎上して、デマや誹謗中傷が飛び交って。
本当はきっと誰も悪くないんですよね。真実やその裏にあった人の思いは決して画面越しで分かるものではないし、SNS上で誰かを責め立てる人もおそらく義憤にかられて何かせずにはいられなかったのかもしれない。
だから誰も悪くはない......だけどみんな悪気もないよね。
っていうやるせなさ。
シンプルな言葉なのに物事を鋭く捉えている点は、今までのtacicaと変わらない良さです。

 

そうやって人間世界で世間擦れしていくのだけれども、その中で希望を見出すラストのサビが素晴らしいんです!

ただ この身体根城に見る世界で

赤い血が歌っている

ここで”歌”だし”根城”だし、tacicaがよく使う”赤い血”なんですよ!
まさに『singularity』のクライマックス。
”赤い血が”歌っているっていう表現がいいですよね。
今まで歌うことについて言葉を紡いできたけど、何より生きること自体が歌うことなのだと。

そして続く詞は、なんと言ったらいいのか、人生ですね(説明放棄)。

この街を根城にある未来で

生き方を学んでく

哀しみという影も形もないモノに

時々 身体の全部を冒されながら

喜びという影も形もないモノに

時々 身体の全部を救われながら

うん、やっぱり人生としか言いようがない。
抽象的なんだけど、人が生きていくことの全てだし、それがとても希望のあるメッセージとして聞こえるのが素晴らしいです。

この「ねじろ」って曲の構成としてはとてもシンプルなんですよね。
Aメロ→サビ→Aメロ→サビ→ラスサビ、CメロどころかBメロもないし、構成自体もストレート。
なんだけどラスサビの盛り上がり方が凄まじくて、改めてバンドというものの偉大さが実感されます。また猪狩氏の裏声が美しく、本当にこの人の歌声には説得力があるなとしみじみ思いますね。
壮大な世界観で、映画のクライマックスのような感慨深さ。

最後の言葉は、一人の人間として、そしてtacicaというバンドとしての答えでしょう。

どうやら何は無くとも

息はするみたい

 

12. 人間賛歌


www.youtube.com

「ねじろ」の最後の一言から、息を吸う音で始まるの最高すぎません?
アルバムの仕掛けとはちょっと違うかもしれないんだけど、聴いていて筆舌に尽くせない良さがあります。
仕掛けと言えば、6曲目の「Rooftop Hymn」はこの「人間賛歌」の一部を抜き出して弾き語りにしたものだったんですね。
やっぱりこういうギミックがあると、アルバムがただの楽曲集でなく一つの作品なんだと実感できて好きです。

”人間賛歌”という希望に満ちたタイトルと優し気な歌い出しの言葉から、どこまでも明るい曲のように最初は思うかもしれません。
現に歌い方はやさしいし、メロディーは歌謡曲的でとてもポップです。

しかし騙されてはいけません。
明るい曲調の至る所に、コロナで負った苦悩や皮肉が隠されています。
例えばサビのこのフレーズ。

大地を削る様な雨と風の間を

藍色のアイロニー

歌おう 人間賛歌

そのままアイロニー(皮肉)って言ってますね笑。
tacicaの楽曲では度々、大地という言葉が登場します。これは個人的な解釈なんですけど、tacicaの歌詞に出てくる大地は、自分の人生の中で到達できる範囲を示していると思うんですよね。
夢だったり、結婚だったり、仕事だったり。何であるかに関わらず、目的地があってそこに至る道筋があると思います。そのたどり着ける範囲というか、自分の足で目指せる範囲というか......そんな感じ。

で、このフレーズ内ではその大地が”雨と風”により削れていってるんですよね。
多分”雨と風”は今回のコロナの事なんじゃないかな。
コロナによって様々な制限が設けられて、不自由が増えました。
それはまさに、厳しい雨や風によって人ひとりにとっての大地が削られてしまうように。
だけどそれでも”歌おう 人間賛歌”って言ってくれているのがいいんです。

続くフレーズがなんとも怪奇で

墓石を投げた時の水面の波紋の様に

広がって行くもの

歌おう 人間賛歌

どういうシチュエーションだよ!
直喩(?)ではあるんだけど、墓石を投げるっていう行動が謎すぎて何の比喩かもわからないカオスさ。

まぁ、今は何となく自分の中で解釈はできていて。
墓石は訃報のことだと捉えています。
有名人の訃報が飛び込んできて世間がざわつく、或いは死者の尊厳を踏みにじるような行為が波紋を呼ぶ、はたまた死という概念そのものにより人々が恐れをなす。
なんにせよ、墓石は死の象徴として使われていると思うし、死という概念によって揺れ動くことそのものが人間賛歌なのだと表現している......可能性が無きにしも非ず(自信なし)。

間奏のギターフレーズ面白いですよね。
おおらかな空気がここだけ途切れていて、やっぱりただのストレートな人間賛歌ではない雰囲気があります。

そんでもって2番がより強烈というか、結構毒のある詞になっています。

あなた方の言う僕達はいつも

どうでも良い事だらけ

どうでも良い事だって

簡単に捨てた物じゃないのに

あなた方っていう言い方がすでに皮肉げです笑。
”僕達”はtacicaだけでなく、音楽活動をしているアーティスト全体を指しているかと。
コロナで槍玉に挙げられてしまった音楽業界自体の嘆きだと思いますね。

tacicaはコロナ禍中も特にSNSで何かを投げかけることなく、要請に従っていました。そんなバンドだからこそ、”簡単に捨てた物じゃないのに”という言葉に重みが出ていると僕は思います。

また、”どうでも良い事”と呼ばれる事に対して反論してるわけではないのもtacicaらしい点で。それこそ「アロン」や「GLOW」で音楽の無力さについて自己批判をしてますからね。
確かに、音楽は魔法のような誰にでも役に立つ存在ではないかもしれない。でも、簡単に捨てた物じゃないよねっていう。
それぞれの価値観の相違や、自分たちの無力さをしっかりと見つめたうえで、最後の曲にこう歌うのがまた素晴らしいんですよ。

そんでもって続く言葉がまた良くて。

それぞれのエンドロールが流れ出すまで

楽しんでおいで

”それぞれのエンドロール”って表現がいいですよね。
エンドロールに何がつきものかって言えば音楽な訳ですよ。
「映画のエンドロールに曲がついてなかったら味気ないでしょ?ほら、やっぱり音楽って捨てた物じゃないじゃん」って音楽の必要性を示すためのワードチョイスとも思えます。


2番のサビからの展開がこの曲の真骨頂です。

退屈なアイボリー

所詮 人間なんて

「所詮人間なんて」とか言っちゃったよこの人!
「人間賛歌」って曲名なのに!
最初聴いた時あまりにもtacicaらしくて笑ってしまいました。こういう思いも隠さないから面白いですよね。

”アイボリー”という言葉は、15周年記念ライブのタイトル『象牙の塔』を思い起こさせます。

そして次のフレーズこそが、ここ数年で混迷した社会に対するメッセージでしょう。

坂道を真似た本能

時には車輪のように

加速して行くもの

踊ろう 人間賛歌

車輪が加速するのはどんな時か?それは下り坂にある時。
下り坂にある時こそ、物事は加速し、進んで行く。
コロナによりmRNAワクチンの開発が進んだり、リモート化が促進されました。
困難に相対した時こそ、人類は進む。だから、踊ろう 人間賛歌ってことですよ!

 

ここからCメロでキーボードが入って、ゴスペルのようになるのがまたトリッキーな展開で面白い。
コーラスも入ってまさに讃美歌の空気。

なのに歌っていることがこれまたくたびれています。
tacicaの今が全く美化されていなくて、それがまた澄んだ声で歌われるから希望に満ちて聴こえるのが大変素敵なんです。

転がりながら生きただけの

歯牙みつきながら息しただけの

嫉妬しながら愛しただけの

流れ流れながら老いただけの

人間賛歌を歌っている

こうして見ると本当泥臭いというか、人間臭いですよね。
でも、そういう美しくない所こそが人間の逞しさであり、素晴らしさだと思うし、説得力を持ってそう伝えてくれるtacicaはやはり凄いなぁ(小並感)。
”歯牙みつきながら息しただけ”っていうのもやっぱりプライベートレーベルを立ち上げて音楽を続けたことの比喩じゃないかな。

「にーんげーんさーんか」っていうコール&レスポンスが入っているんですけど、tacicaでコール&レスポンスが入る楽曲って初ですよね。
コロナで声出しが不可能になって初めてこういう趣向を取り入れるのがまたtacicaらしい。
いつか、ライブでみんなで歌ってみたいですね。

 

ゴスペル(?)パートが終わると、突然音が止み、猪狩さんの声のみになります。
本当にトリッキーな展開で、今までにない味わい。

嘗て裸足で会って

離れ離れにも慣れて

繰り返して行くもの

それが人間だって

誰かと会うこと、離れ離れになることが歌われていますが、これらはコロナ以前にも続いてきた当たり前で、普遍的なことなんですよね。
この「singularity」自体、tacicaを取り巻く環境の変化を扱った時事的かつバンド史的な作品でした。
だけどそれらを俯瞰してみると、変化だったり、困難に対峙する事だったり、生きる意味の問いかけだったり、テーマとして凄く普遍的です。この「人間賛歌」だって、"消毒液"なんてとても時事的な言葉を使っているのに、根っこにあるのは人間の有り様というテーマでしょう。
だから今までのtacicaから確実に変化しているけど、芯の部分は変わっていないし、今後どう変化していってもきっと彼らはtacicaであり続けるんだろうなって、そう確信できるアルバムでした。

歌おう 人間賛歌

踊ろう 人間賛歌

 

 

はい、極めて長尺で気持ち悪い文章となりましたが、以上で全曲感想は終わりとなります。
あらためて一曲ずつ感想を書いてみると、この『singularity』はスルメバンドと呼ばれることの多いtacicaの中でも有数のスルメアルバムだなと。
曲ごとの色が多彩だし、「アロン」とか「人間賛歌」みたいに展開の面白い曲も多い。
何よりインタビュー記事とか、バンドの遷移について改めて調べるほど歌詞への理解が進んで、思い入れが増しました。
これは確かに、tacicaというバンドの現在が刻まれた”ゴールデンレコード”です。

ただその一方で、先述した様にtacicaの普遍性はやはり失われていません。
依然として生きる事そのものがテーマの中心にきているし、彼らの音楽に対する真剣な姿勢は全くもってブレていない。
だからこのアルバムは変化を標榜しつつも、それでも変わらないものを打ち出している。
singularity(特異点)を迎えても、sing(歌う)ことは変わらないということですね。

変わり続けるtacicaらしさと、変わらないtacicaらしさが同居した、彼らのバンド史において特異点となるであろう1枚でした。

 

次の新譜が楽しみだなー。こっからどういう方向に向かうんだろう?
とりあえずツアー「ソコハカ」を心待ちにして、この記事を締めるとしましょう。

goodbye

また いつか 必ず

見つけてくれるなら

 

 

おまけ:ジャケット、歌詞カードの解読

tacicaのアートワークは毎度凝っているのですが、中でも本作は色々要素が散りばめられているので、おまけとして解説を。
まずはジャケット。

図形が描かれていますが、その意味は上の画像の通りだと思います。

上は通算のアルバム数(フル8枚+ミニ3枚)の11個の星。
左はtacicaのロゴと、デビューからの年数である16本の後光(?)。
そして右は、本アルバムのリリースツアーの会場がある位置(札幌、仙台、柏、渋谷、名古屋、大阪)を指しています。

星と線には空きがあるのですが、これはおそらく、まだまだ活動していくぞっていう意気込みだと僕は解釈しています。

 

それで一番上の数字なんですが、これは2進数の文字コードになっていて、以下のように変換できます。

47m48s、つまり47分48秒でこのアルバムの再生時間を表しているという訳なんですね。
おもろい。

歌詞カードの中にもバイナリ文字列が書かれていたり、新聞記事風になっていたりとかなり凝った作りになっているので、興味のある方は是非手に取ってみてください!(ダイマ

そして最後にジャケット裏面の言葉なのですが、これがまぁ良くて。

見づらくてスマソ

"sing a human hymn"。直訳で"人間賛歌を歌う"。
やはり本作の裏テーマが歌うことだと分かるのと同時に、tacicaが歌っていることの根底は人間賛歌なんだというメッセージにも捉えられます。

tacicaは暗いと言われがちだし、実際そういう歌詞も多いんだけど、暗いままで終わる曲ってほとんどないんですよね。
だから底の方では人間、というか命自体を信じていると思うから、このメッセージには納得感があるんです。
今後どれだけ活動を続けて変化していっても、やっぱりこの点だけは決して変わらないんじゃないかな。

 

以上、アートワーク関連の解説でした!
こういう細かいところを作りこむのがtacicaの良さなんだよな~。
まじ好き。