限りない日々の逃走劇

主にtacicaを褒め讃えるためのブログです

モリミーとアジカン、チーズとトマト

 

つまりはベストマッチ

 

先日、登美彦氏の小説『四畳半タイムマシンブルース』がアニメ映画化された。

主題歌の担当は我らがアジカンである。

『四畳半神話体系』、『夜は短し歩けよ乙女』に引き続いて、アジカンが登美彦氏の作品に楽曲を提供するのは3回目となる。

 


さて、森見登美彦の小説と言えば阿呆である。

氏の小説を読んだことがない人は、何故か登美彦氏が意識高い系の作品を書く作家だと勘違いしていることが多い。
しかし、実際は京都を舞台とした阿呆小説を得意とする、愛すべき作家である。
意識が高い小説に「おっぱい万歳」などという言葉は出てくるまい。

 


一方のアジカンと言えばかなり真面目なイメージが強いかもしれない。
タイアップで有名な「リライト」も「アフターダーク」も真っ直ぐで、何かを訴えかけるような曲だ。

しかし、彼らも時にはふざけた楽しい曲も作る。
その代表例が『サーフ ブンガク カマクラ』という作品集である。
リード曲である「藤沢ルーザー」のMVを見てくれればアジカンの遊び心が伝わるだろう。


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何という素敵な阿呆さ。
社会人経験のある彼らだからこそ作れる名MVである。
この気の抜けた、しかし優しさも感じられるポップテイストが森見作品のエンディングに実に合うのだ。

 

3度目のコラボを果たした彼らであったが、今までのアジカンは森見作品と少し距離を置いていたように思える。

アジカンのCDジャケットは元々、『四畳半神話体系』等の装画を描いた中村佑介氏が担当しているのだが、「迷子犬と雨のビート」と「荒野を歩け」のジャケットには森見作品のキャラクターは描かれていなかった。
またMVも直接関係のあるものではなかった。

その距離のとり方は森見作品の主人公のような及び腰、基、奥ゆかしいものであった。
もっとくっつけばよいもののと、さながら小津が抱いたようなもどかしさを私も抱いたものである。

 

しかしこの「出町柳パラレルユニバース」のジャケットはどうだ!!!

 

このMVはなんだ!!!

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いやほんとに何なの、このMV?

……ザリガニ以来の衝撃的MVはひとまず置いておくとして、見ての通りガッツリコラボしているのである。

アジカン好きであり森見登美彦ファンである私にとってはこれ程嬉しいことはない。

 

歌詞も今までの主題歌の集大成かと思わせるような逸品になっている。

例えば「迷子犬と雨のビート」で

風のない午後を恨むような そんな土曜日の模様

 

と歌っていたが「出町柳パラレルユニバース」では

午後からは街の風になって

 

という歌詞がでてくる。
風がないなら己自身が風になればいい。そういうことだろうか?

続く

君らしく踊ればいいじゃない

 

の箇所は「荒野を歩け」の

「君らしくあれ」とか 千切ってどこか放す

 

というフレーズを彷彿とさせる。
”らしさ”や”多様性”が鬱陶しいほどに称賛される昨今だが、後藤氏の少し投げやりで優しい歌い方のメッセージは、スッと心に入りなじむのだ。

このように「出町柳パラレルユニバース」は「迷子犬」と「荒野」のアンサーソングとも捉えられる曲になっている。

 

そして「出町柳パラレルユニバース」を語る上で外せないのが、同シングルのカップリング曲「柳小路パラレルユニバース」の存在である。
後藤氏は本作のインタビュー(コラボ三部作に通ずる“生きている喜び──“ASIAN KUNG-FU GENERATIONインタビュー|『四畳半タイムマシンブルース』主題歌 | Qetic)内で、制作のバックグラウンドを以下のように語っている。

後藤 江ノ島電鉄の各駅をモチーフとした『サーフ ブンガク カマクラ』というアルバムを2008年に出した際に、全15駅中の10駅分しかリリースできなかったんですよ。そこで、残り5駅分の楽曲を作っていく過程で、今回の『四畳半タイムマシンブルース』というアニメ作品にすごく合うようなアイデアが生まれたんです。この『四畳半タイムマシンブルース』という物語は、京都という街を舞台に、タイムマシンを使いながら色々な青春が同時進行されつつ、実はそれらが繋がっている──という不思議な世界を描いているんですよね。そういう部分でも、京都の青春と、鎌倉の青春と、さらには僕たち自身が経験した横浜の青春が同時進行するというパラレルワールド感を、“出町柳パラレルユニバース”と“柳小路パラレルユニバース”の構成や歌詞の違いで表現できたら面白いんじゃないか? というふうに考えて、制作しました


天才か?
いやまぁ後藤氏が天才なことに間違いはないが、にしてもこの趣向は余りにも秀逸である。

歌詞は細かな違いが多くあるが、最も大きな違いがCメロの詞である。
出町柳」では『四畳半タイムマシンブルース』のメインアイテムであるタイムマシンに思いを馳せているのに対し、「柳小路」ではアジカンがリスペクトしているウィーザーの楽曲、「バディ・ホリー」について歌っている。

まさに平行な青春模様だが、その二つの線が続く

まだ息があるなら I don't care
今ここでなくちゃ意味がないでしょう

で合流するのがこれまた最高。
聴く者のテンションは「Yeah!!!! Ride the big  surf!!!!!」となること請け合い。
まさにオールライトである。

やはりモリミーとアジカンの組み合わせは最高だ。
モリミーがアジカンを!アジカンがモリミーをひき立てるッ!

たとえるなら、きわめて限定された時空においては、ユークリッド幾何学の平行線公準が成り立たず、ホフマー螺旋は裏返り、テロパッチョ楕円はハート形となり、二本の平行線は必ず交わり、あばたはえくぼになり、男女は必ず結ばれる

......つう――っ感じっスよぉ~~っ(意味不明)。